瑞松庵は曹洞宗の名刹。
応永18年(1411)に定庵禅師が船木に庵を開き、
名僧で名高い師の石屋禅師を開山としたのが、
この瑞松庵のはじまりという。
開山の石屋禅師、2世定庵禅師、
4世守邦禅師はいずれも薩摩人であり、
特に守邦禅師は島津家7代島津元久の長男で、
元久の叔父である石屋禅師に預けられたという。
その為に「丸に十文字」を寺紋としており、
島津家と縁が深い寺であったようです。
「山門」。
木造2階建茅葺きの楼門ですが、
昭和12年に上棟されたもの。
それほど古くないものなのですが、
登録有形文化財に指定されています。
「船木勘場の門」。
山門の隣に移築されている勘場の門。
船木宰判勘場は維新後に厚狭郡役所に使用され、
厚狭郡の行政を担っていましたが。
明治15年に火災で焼失してしまいました。
その際に焼け残ったのがこの門で、
昭和10年にここに移築されています。
船木宰判勘場唯一の建物遺構。
「本堂」。
古そうですが創建年度はよくわかりません。
本堂、庫裏、開山堂など建物は石州瓦で統一。
庭園も手入れがされて美しかったのですが、
写真を撮るのを忘れてました。
「丸に十文字」。
旧長州藩領でこれほど薩摩十字を見るとは。
勿論長州藩と薩摩藩が険悪となったのは、
禁門の変後の一時期だけですので、
それほど変な事ではありません。
「毛利勅子君招魂碑」。
厚狭毛利家当主毛利元美の正室で、
女子教育に尽くした毛利勅子の招魂碑。
船木女児小学の校長として教鞭を振るい、
私財を投じて熱心な指導を行いました。
この碑は彼女の死の同年に建立されたもの。
後で調べると儒者市川玄伯の墓や、
千林尼の顕彰碑などもあった模様。
また機会を設けて訪問することにします。
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