岡崎藩本多平八郎宗家の歴代墓所は、
かつての所領であった姫路の圓教寺や、
浅草にあった誓願寺などにあり、
所領の岡崎にはありませんが、
4代本多忠考の墓のみ源空寺にあります。
「源空寺」。
平安時代中期に恵心庵として創建。
開山は恵心僧都とされており、
平安末期には法然上人が滞在。
江戸初期に本多豊後守家が岡崎に入ると、
初代本多康重の菩提所とされました。
※本多平八郎家とは別の系譜。
本堂は岡崎空襲で焼失しており、
現在の本堂はその後に再建にされたもの。
源空寺墓地は道路を挟んだ西側。
かつての寺域は宅地化されているようです。
「勝運院殿従五位天譽晴空壽僊大居士」。
岡崎藩4代藩主本多忠考の墓。
3代本多忠顕の四男として生まれ、
父忠顕の隠居に伴い家督を相続しました。
先代の父忠顕は遊興にふけり藩政を顧みず、
財政は困窮を極めていたようでしたが、
忠考は病弱で藩政を執れなかったという。
文政11年(1828)の矢作川洪水では、
甚大な被害を被るも有効な対策が打てず、
更に財政を圧迫していったようです。
後に高松藩から本多忠民を婿養子に迎え、
天保6年に隠居していますが、
その後は明治12年まで生存しており、
隠居後に44年も生きています。
また多くの子も残しているようですので、
とても病弱であったとは思えません。
在任中は何らかの理由で実権を奪われ、
藩政に関われなかったのでは?
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家祖本多忠勝の墓所。
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岡崎藩本多平八郎宗家の居城跡。