川棚川を遡った上流付近に虚無僧墓があります。
天保年間頃に一人の虚無僧が住み着いて、
尺八を吹く以外は酒ばかり飲んでいたという。
そんな虚無僧を村人達は敬遠していましたが、
ある日、村娘が山賊に襲われた際には、
その虚無僧が奮起して娘を無事に救い出し、
村人に感謝されたようです。
ところが後の弘化3年(1846)8月15日の朝、
頭を抱えて唸っていた虚無僧は、
川棚川の河原に走り出したかと思うと、
大きな岩に頭を二度三度ぶつけて倒れ、
そのまま死んでしまいました。
死ぬ間際に虚無僧は、
「脳を冒されて何もしてあげられなかったが、
私の墓を建てて酒を供えてくれれば、
あなたたちの苦しみを和らげてあげよう」
と言い残して息を引き取ったという。
村人達は頭の痛いのを和らげる為に、
酒ばかり飲んでいたことを知り、
その虚無僧の墓を河原に建てて供養しました。
以後、頭の病気に御利益があるとして、
参拝者が酒を供えるようになったという。
「虚無僧墓」。
川棚川を遡った県道262号線沿いにあるお堂。
虚無僧の墓は大正13年にここに移され、
お堂が建てられています。
「摭岩至剛善士」。
堂内中央に墓石が置かれており、
訪問時も缶ビールがお供えされていました。
虚無僧とは剃髪せずに深編笠をかぶり、
尺八を吹いてお布施を請いながら、
諸国を行脚修行した普化宗の半僧の事で、
顔が見えない事から遊蕩無頼の徒が化けたり、
幕府隠密などが扮していた場合もありました。
この虚無僧は居付いていたようですし、
酒を飲んでいるのを目撃されていますので、
顔出しはしていたと思われますが、
名前も出自も謎のまま死んでしまっています。
「供養石」。
お堂の横にある大きな岩。
虚無僧がぶつけた岩でしょうか?
説明がないのでわかりません。
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