経王寺は荒川区西日暮里にある日蓮宗寺院。
周辺の豪農冠勝平によって創建され、
冠一族の菩提寺となっていたという。
日蓮上人作の大黒天が大黒堂に祀られ、
地域の人々の崇敬を集めていました。
「山門」。
門番所付の立派な門ですが、
この門に新政府軍の弾痕が残っています。
門の左右数ヶ所に弾痕が見られますが、
威嚇の為に撃たれたものでしょう。
江戸城無血開城が行われた後、
恭順を良しとしない抗戦派の幕臣らは、
彰義隊を結成し寛永寺を本拠地としました。
やがて新政府軍による武力討伐が決定し、
大村益次郎が指揮する新政府軍は、
寛永寺一帯を包囲して総攻撃を開始。
激しい抵抗をみせていた彰義隊ですが、
アームストロング砲の攻撃で瓦解し、
やがて壊滅的な状況へと陥ります。
戦闘の決着は僅か1日で決する事となり、
敗残兵は各地に逃走しました。
彰義隊敗残兵は各地へ向かいますが、
残党らが市中に潜伏した為に、
新政府軍は残党狩りを開始します。
この一部の残党が経王寺に匿われた為、
新政府軍はこれを取り囲んで山門を射撃。
現在残る弾痕はその時のものでした。
その詳細については不明ですが、
包囲から逃げられるとは思えませんので、
降伏、若しくは討死したのでしょう。
「本堂」。
本堂は空襲で焼失したようで、
昭和27年に再建されています。
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