養福寺は荒川区日暮里にある真言宗の寺院。
正確な創建時期は不明ですが、
初代住職が寛永3年(1626)に死去しており、
それ以前の創建とされています。
「養福寺」。
本堂などの建築物は空襲で焼失しましたが、
写真奥の仁王門は焼失を免れており、
江戸期の木造建造物として現存しています。
周辺の他の寺と同様に多くの文人が訪れ、
ここで風流を楽しんだという。
墓所には矢島藩生駒家の墓所があります。
「生駒家之墓」。
12代(矢島藩初代)生駒親敬及び、
14代生駒親承、15代生駒慶男の合葬墓。
※13代は親敬夫人の生駒江美子。
矢島藩生駒家は土田生駒家とも呼ばれ、
豊臣政権の三中老生駒親正を初代とし、
高松藩17万3000石を領していましたが、
4代生駒高俊の代に生駒騒動が発生し、
家中が乱れた事を理由に改易されています。
高俊は堪忍領として1万石を与えられ、
矢島に陣屋を構えて矢島藩を立藩しますが、
隠居の際に次男生駒俊明に2000石を分与し、
長男生駒高清は8000石で家督を相続した為、
以降の生駒家は大名ではなくなりました。
その後は交代寄合として続きますが、
12代親敬が奥羽鎮撫使の指揮下で活躍し、
この功で高直しが行われて大名に復帰。
僅かな期間ながら矢島藩を復興します。
親敬は明治13年に死去していますが、
男子がおらず夫人の江美子が当主となり、
後に親承が婿養子として家督を継ぐまで、
生駒家は女当主となっていたようです。
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矢島藩最初の初代藩主の墓所。
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矢島藩生駒家の陣屋跡。