東京都台東区 長安寺/加納芳崖墓所

長安寺は台東区谷中にある臨済宗の寺院。
初めは曹洞宗のお寺でしたが、
臨済宗の僧要關が再興して転宗しました。

ここに狩野芳崖の墓があります。

長安寺」。
鶯の名所であったこの地を気に入り、
ある老翁が御堂を建てて長安軒と名付け、
寿老人像を安置して暮らしていたという。
ここに偶然にも老山和尚が通りかかり、
長安軒に一泊していますが、
老翁はこれを縁として老山和尚に堂を譲り、
寿老人を守って欲しいと頼みました。
以降は寿老人の寺と呼ばれるようになり、
これは転宗以降も続いています。
時は過ぎで後の上野戦争の際には、
前々から祈念していた2~3人の夢枕に、
寿老人からのお告げがあり、
この辺りは戦場となり火災も発生するから、
女子供、老人を非難させるよう教えられ、
これに従った為に住人は難を逃れたという。


狩野芳崖翁碑」。
境内にある狩野芳崖の顕彰碑。


東光院臥龍芳崖居士
 性静院花室妙愛大姉
」。
狩野芳崖と夫人ヨシの墓。
長府藩の御用絵師狩野晴皐の家に生まれ、
幼少時より画道に励んで才能を発揮し、
江戸へ出て木挽町狩野家に入門。
嘉永年間に弟子頭となって、
橋本雅邦と共に門下の竜虎と称されました。
後に長府藩に御用絵師として仕え、
動乱の幕末期には戦勝祈願の絵馬や、
測量図なども描いていますが、
明治維新後は養蚕業に手を出して失敗。
襖絵や杉戸絵等を描いて糧としました。
明治10年に友人の勧めで上京。
後に米国人美術史家フェノロサに評価され、
近代日本画を創生して人気画家となり、
名作[悲母観音]を完成させますが、
明治21年に病死しています。

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