亀山宿は東海道の46番目の宿場。
伊勢亀山城の城下町でもある為、
宿場は坂道が多くて曲がりくねっており、
見通しが悪いのが特徴です。
亀山市街周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかしている辺りが亀山宿。
宿場は非常に複雑に曲りくねっていました。
東口より散策。
「東町」。
東町は商店街となって往時の面影は皆無。
亀山宿は規模は大きいものの、
本陣、脇本陣は各1軒のみたったようで、
双方とも東町にありました。
「脇本陣椿屋跡」。
しぼりやという洋服店辺りが脇本陣椿屋跡。
「本陣樋口家跡」。
本陣を務めた樋口太郎兵衛家の跡地。
現在は児童クラブの建物が建っています。
樋口家は東町の問屋場も兼務しました。
更に進んだ四つ辻が高札場の置かれた場所。
真っすぐ進むと大手通りとなり、
街道は左に折れて横町、万町へ。
横町及び万町は坂道となっていますが、
昔の風情が残っています。
家々の軒先には屋号札が貼られ、
昔は何屋だったのかを表示していました。
池の側を過ぎて西町へ。
「たまり坂」。
西町は東町と並ぶ宿場の主要な町で、
たまり坂は醤油屋前であった事と、
人が溜まる場所だった事に由来します。
「日野屋跡」。
西町の問屋場は若林家が務め、
東町の樋口家と10~20日程度で交代し、
宿継ぎ業務を行ったとのこと。
この辺りに若林家の借家と問屋場があり、
元治2年に日野屋に譲渡されたとのこと。
「西町」。
古い家屋も少々は残っている様子。
街道はこの先で桝形となって続き、
京口御門に至ります。
※京口御門は亀山宿の西側入口。
亀山に過ぎたものが二つあり、
伊勢屋蘇鉄と京町御門と謳われました。
京町御門は現存しておらず、
伊勢屋の蘇鉄は文化会館の玄関前に移植。
伊勢屋跡は脇本陣椿屋の西隣です。
■東海道の宿場町
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