庄野宿は東海道の45番目の宿場。
庄野は伊勢神宮内宮の御園であったようで、
その地名も荘園にちなみます。
宿場となったのは遅かったようで、
寛永元年(1624)とのこと。
隣の石薬師宿までは僅か2.7kmで、
東海道では御油宿ー赤坂宿の次に短く、
その為か規模の小さい宿場でした。
「歌川広重 東海道五十三次之内 庄野」。
傑作といわれる庄野の白雨。
坂を駆け上る駕籠と叩きつける雨は、
動きと緊張感を表現していますが、
実際の宿場の様子はわかりません。
規模の小さな宿場だけにネタに困り、
苦肉の策として雨の場面にした事が、
結果として傑作を生む事になったのかも?
西口より散策。
「西口跡」。
ガソリンスタンドの裏手辺りが西口。
「庄野宿跡」。
街道筋は日本家屋が並んではいますが、
当時の建物は少ない。
とはいえなんとなくの面影は残っています。
「庄野宿本陣跡」。
本陣を務めた澤田家のあった場所。
現在は庄野集会所となっています。
ここの四つ辻が宿場の中心で、
高札場も建てられていました。
南西の角は脇本陣だったらしい。
「庄野宿資料館」。
現存する宿場時代の建物で、
保存と活用の為に資料館となったもの。
本陣、脇本陣の文書や高札等、
宿場関係の資料を展示しています。
「東口跡」。
宿場の東端で街道はここで東に折れ、
鈴鹿川に沿って石薬師宿へ向かいます。
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