原城跡の南側にある大江漁港。
ワカメ養殖の盛んな小さな港ですが、
江戸時代には漁業の他に、
熊本等に船を出していたようです。
「大江漁港」。
田町川河口に築港された漁港。
石垣の堤防も残っていますが、
いつの時代のものかわかりません。
嘉永3年に吉田松陰は九州遊学を行い、
平戸で山鹿流の家元山鹿萬介に入門。
葉山佐内の蔵書を多数読破した後、
長崎を経て天草の富岡城跡を見学。
二江から口ノ津に向かおうとしますが、
住民に怪しまれた為に、
偶然にもウエ村行きの船に便乗。
このウエ村が大江村の誤記のようで、
松陰は大江の湊に到着したと思われます。
到着後に農家に宿泊しており、
そこの老人を案内に雇って原城跡を見学。
その後に島原城下に向かいました。
また安政6年に河井継之助は、
南串から大江に向かっていますが、
道に迷った挙句に怪しい茶屋で休憩。
長崎で知り合った二本松の画家と再会し、
大江に入っています。
そして熊本行きの船に乗り込むのですが、
2人の船頭のひとりはボケて失禁する有様。
遭難しかけながら熊本に到着しました。
この小さな湊に松陰と河井が、
全く別の旅でやってきています。
※両者は佐久間象山の門下。
近くにある八幡神社へ。
「八幡神社」。
地元の小さな八幡社ですが、
境内に島原の乱の供養碑が建っています。
「島原天草一揆供養碑」。
八幡神社境内にある石碑。
島原復興に貢献した鈴木重成が、
乱の10年後に建立したもの。
■関連記事■
・吉田松陰の九州遊学⑥
松陰は天草から大江に上陸。
・河井継之助の塵壺⑪
河合は大江から出航して遭難しかけます。