玄丹かよは鍼医師錦織玄丹の娘で、
本名は錦織加代といいました。
父の玄丹は松江藩士でしたが眼病を患い、
盲目となった為に鍼医となった人物で、
かよは盲目の父をよく助け、
生活の為に芸妓となっています。
慶応4年に山陰道鎮撫使の一行が西下。
松江藩は態度を曖昧としていた為、
領地の半分を返上するか、
家老の死を以って謝罪するか、
藩主世子を人質として差し出すか、
戦って勝敗を決するかと詰問され、
藩の協議により家老の切腹が決定。
これが鳥取在陣の鎮撫使に伝えられて、
鎮撫使一行は松江に向かいました。
「玄丹かよ」胸像。
白潟公園にある玄丹かよの胸像。
到着した鎮撫使を接待する宴席で、
かよも酌婦の一人として参加。
その酒席で酔った参謀のひとりに、
刀を抜き刺した蒲鉾を突きつけられて、
平然とこれを口で受けた事を称賛され、
褒美に家老の赦免を勝ち取ったとのこと。
このかよの働きは称賛されますが、
やがて出しゃばりのアバズレと謗られ、
決まりかけた縁談も破談となっています。
父にも先立たれて独りとなったかよは、
芸者として暮らしたようで、
蒲鉾の逸話から人気芸者という。
かよの逸話は昭和初期に芝居となり、
全国的に知られるようになったようで、
後にその収益で墓が建てられています。
この像は松江湖城ライオンズクラブが、
認証30周年記念に建立したもの。
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