神代家7代当主神代直長の娘成姫は、
佐賀藩2代藩主鍋島光茂の養女となった後、
白石鍋島家2代鍋島直堯に嫁ぎますが、
難産で継嗣千太郎を産んだ際に死去。
※後の白石鍋島家3代鍋島直愈。
これを悲しんだ実父の直長は、
娘の冥福を祈って慈音院を建立し、
成姫の像を本尊の胎内に納めました。
「慈音院」。
胎内の姫の像は忘れ去られていましたが、
明治期に裏山が火災を起こした際、
類焼を恐れて本尊を運び出したところ、
偶然にもこれが発見されたようです。
現在もその成姫の像は、
胎内にあった事から安産の仏として、
本尊と共に安置されているとのこと。
成姫の墓は本堂の隣の観音堂内。
この慈音寺に村田鍋島家の墓所があります。
村田鍋島家は直長の実子鍋島茂真(茂英)が、
村田領を知行して別家を興した御親類家。
初代茂真が内記を名乗った事から、
鍋島内記家と呼ばれましたが、
知行地のあった村田に由来して、
一般的に村田鍋島家と呼ばれるようです。
※但しこの知行地での呼び名では、
御親類の村田家が別にありますので、
非常に間違いやすい。
「圓通院」。
神代家7代当主神代直長の供養塔。
本堂裏手の石段を登った正面にあります。
彼はこの慈音院の開基で、
村田鍋島家初代茂真や成姫の父。
「大空院殿崑崙道鐵大居士(左)」、
「諦心院殿本源淨空大禪定尼(右)」。
村田鍋島家初代茂真の墓とその室慶姫の墓。
神代家7代直長に男子が生まれなかった為、
2代藩主鍋島光茂の次男を養嫡子とし、
神代家の家督を継がせていましたが、
後にこの茂真(初名良之、茂英)が生まれた為、
光茂の許しを得て別家を創設しました。
約30年の当主在任後に死去。
「瑞徳院殿梅山道香大居士」。
2代当主鍋島茂建の墓。
初代茂真の子として生まれ、
父の死去により若くして家督を継ぎますが、
相続8年後に19歳で死去しています。
「雄仙院殿睡翁道閑大居士(右)」、
「霊源院殿春日了心大姉(左)」。
3代当主鍋島茂憲の墓とその室富姫の墓。
2代茂建の弟で兄の死後に家督を相続し、
62年の長期に渡り当主を務めた後に隠居。
その翌年に死去しています。
「清雲院殿鑒應道機大居士」。
3代茂憲の継嗣鍋島賢明の墓。
御親類の村田家からの養子でしたが、
茂憲に先立ち病死しています。
「大乘院殿一空道圓大居士(右)」、
「吟松院殿圓室壽操大姉(左)」。
4代当主鍋島茂徳の墓とその室庸姫の墓。
神代家8代神代直方の孫(神代直恭の子)で、
3代茂憲の養子となり家督を相続しました。
33年間当主を務めた後に死去。
「圓中院殿天然良徹大居士(右)」、
「髺珠院殿光質智明大姉(左)」。
5代当主鍋島茂啓の墓とその室宣姫の墓。
4茂徳の子として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続しており、
15年の当主在任後に隠居しました。
室の宣姫は8代藩主鍋島治茂の娘。
「清徳院殿一應道貫大居士(右)」、
「心月院殿蘭渓自秀大姉(左)」。
6代当主鍋島茂生の墓とその室今姫の墓。
5代茂啓の子として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しました。
20年間の当主在任の後、
安政元年に死去しています。
「大興院殿寬量武徳大居士(右)」、
「慈興院殿豊屋治貞大姉(左)」。
7代当主鍋島内記とその室の墓。
手元の資料には茂生以降の記載はなく、
推測で判断するしかありません。
そもそも資料の鍋島内記家の系図は、
彼が嘉永3年に記したものですので、
自分の分までは入れていません。
先祖と同じく内記を名乗ったようですが、
諱さえわからない状態。
誰か知っている方いらっしゃれば、
是非とも教えて頂きたいです。
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