佐賀県佐賀市 松陰寺/神代家墓所

松陰寺佐賀藩初代鍋島勝茂の娘で、
神代家5代当主神代常利の正室性空院が、
先祖の菩提を弔う為に創建した寺院。
往時は鈴隈山に位置していたようで、
豪華な堂塔で威勢を誇っていましたが、
明治維新後に寺領を失った事や、
数度の火災に見舞われた事から廃退し、
現在は天神山に僅かに寺跡を残しています。


松陰寺」。
九州横断自動車道沿いの竹藪に、
ひっそりと残る松陰寺。
無住のようで境内は荒れています。

神代家墓所は松陰寺より北東約200mの場所。

神代家墓所」。
性空院は各地にあった神代家の墓を、
鈴隈山に集めて改葬しています。
神代家は武内宿禰を祖としており、
代々筑後に居住し高良玉垂宮を護った為、
神代の姓を授かったという。
室町中期肥後神代家の祖神代宗元が、
安富荘の小地頭となっていますが、
その息子神代勝利が周辺豪族に迎えられ、
山内二十六ヶ山の総領に就任。
龍造寺家と度々争っていますが、
次代神代長良が龍造寺家の家臣となり、
後に鍋島直茂の甥神代家良が養子となって、
御親類として続いています。


性空院」。
3代常利の正室伊勢菊姫(性空院)の墓。
佐賀藩初代鍋島勝茂の四女で、
松陰寺を建立して先祖を弔い、
各地に散在する神代家の墓を集め、
代々の墓所を造営した人物。
松陰寺の寺名は彼女の法名に由来します。
性空院殿松陰大姉


圓通院殿觀性道聞大居士」。
5代当主神代直長の墓。
初代藩主勝茂の十一男として生まれ、
4代神代常宜が継嗣無く死去した為、
その養子となって家督を継ぎました。
夫の3代常利と息子の常宜に先立たれ、
独り身となった伊勢菊姫の身を案じ、
勝茂は実姉への孝行を尽くすようにと、
直長に対して諭しています。
その勝茂の言葉を守ったのか、
性空院(伊勢菊姫)の墓の左にあります。

6代神代直利は2代藩主鍋島光茂の次男。
5代直長の婿養子となり家督を相続しますが、
後に兄で3代藩主鍋島綱茂の養子となり、
4代藩主となっています。
7代当主神代直堅も光茂の十五男で、
直利の宗家相続後に神代家を相続。
しかし直利に継嗣が出来なかった為、
実家に戻り5代鍋島宗茂となりました。


大鏡院殿圓山道光大居士(右)」、
仙嶺院殿永巖壽頊大姉(左)」。
8代当主神代直方の墓とその室冨姫の墓。
性空院の墓の右にあります。
この直方も光茂の子で十八男でした。


正眼院殿勇山義運大居士(右)」、
香樹院殿嫩桂妙蘂大姉(左)」。
9代当主神代直贇の墓とその室祐姫の墓。
父の神代直恭は病気で廃嫡しており、
祖父直方の嫡孫となり家督を継いでいます。
43年の当主在任後に死去。
室の祐姫は5代藩主鍋島宗茂の孫娘。


祥雲院殿」。
10代当主神代直興の墓。
父の死去後に僅か5歳で家督を継ぎますが、
その3年後に死去しています。

11代当主であった神代直珍は、
8代藩主鍋島治茂の七男として生まれ、
幼くして死去した直興の養嫡子となり、
神代家の家督を継ぎますが、
後に蓮池藩7代鍋島直温の養子となり、
蓮池藩8代鍋島直与となっています。


寛量院殿(右)」、
嶺雲院殿(左)」。
12代当主神代賢在の墓とその室の墓。
佐賀藩9代藩主鍋島斉直の三男で、
11代直珍が蓮池鍋島家に入った為、
代わって家督を継ぎました。


真性院殿」。
13代当主神代直郷の墓。
直郷は諫早茂洪の次男に生まれ、
12代賢在の養子となって家督を相続。
嘉永2年に死去しています。


陽春院殿仁山智水大居士
 慈雲院殿益山恵水大姉
」。
14代当主神代直寶とその室の墓。
12代賢在の子で直郷の養子となり、
その死後に家督を継ぎました。
直寶は明治期に広大な私有地を無償提供し、
地域民に慕われていたようです。

墓所最奥にある前期の当主達の墓。

傑傳淨英居士
 春巖桂陽大姉
」。
2代当主神代常親とその室の墓。
初代神代家良の子として生まれ、
年月は不詳ながら家督を相続。
島原の乱に藩主に先行して出陣しており、
家臣の多くが戦功を挙げています。


朝山全榮居士」。
3代当主神代常利の墓。
2代常親の子でその室は上記の性空院。
28歳の若さで死去しています。


實相院覺知宗本居士
 淨閑院亭巖妙貞大姉
」。
4代当主神代常宣と姉菊姫の墓。
3代常利と性空院の子でしたが、
2人共17歳の若さで死去しています。

脇の方に中興の神代勝利や、
初代神代家良の五輪塔があったのですが、
他と比べて小さく脇にあったので、
家臣の墓と勘違いして写真は無し。
歴代当主をみると鍋島宗家とかなり近い。
流石に御親類といったところでしょう。

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