佐賀県佐賀市 葉隠発祥の地

弘学館中学校及び高等学校の南側に、
葉隠発祥の地と称される場所があります。

葉隠佐賀藩士山本常朝の口述を、
同藩士田代陣基がまとめたもので、
武士としての心得を説いた筆録。
武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」と、
過激な一節で知られていますが、
それ程過激なものでもありません。
とはいえ上方の武士道とは違い、
殺伐とした九州武士らしい考え方で、
死を恐れてはならぬと説いています。
内容については批判もあるでしょうが、
例えば映画アルマゲドンで主人公ハリーが、
自らを犠牲に地球を守ったというように、
自己犠牲は日本だけではなく、
世界中のどこでも共通で称賛される事柄。
この際に死後に称賛されるだろうとか、
そういう事を考えるのではなく、
無我夢中で任務を遂行せよと説いてます。
※僕の個人的解釈です。


常朝先生垂訓碑」。
山本常朝の隠棲した朝陽軒跡にある碑。
佐賀藩2代藩主鍋島光茂に仕えた常朝は、
追腹禁止令で光茂の死後に殉死もならず、
ここに草庵を結んで隠棲していました。
その10年後に田代が訪ねてきて、
武士の心構えや生き方の教えを請い、
これをこの場所で筆録した訳です。
その為ここを葉隠発祥地としているようで、
跡地にこの立派な碑が建てられています。

後に光茂側室霊樹院がこの地に隠棲し、
法華経一千部を自読して追善供養した為、
常朝はこれに遠慮して大小隈に移りますが、
田代もそこを訪ねて筆録を続け、
葉隠全11巻を完成させました。

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