佐賀県佐賀市 高傳寺/佐賀藩鍋島家墓所②

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つづき。


乗輪院殿全機良運大居士(中央)」。
2代藩主鍋島光茂の墓と、
正室虎姫及び継室甘姫の墓。
初代鍋島勝茂の四男鍋島忠直の長男で、
祖父勝茂の死去に伴い家督を相続。
佐賀藩には蓮池藩小城藩鹿島藩の、
三支藩が存在していますが、
これら三家の格式を制定して支配を強化。
38年の治世の後に隠居しています。
葉隠山本常朝は光茂の小姓でした。


玄梁院殿卓巌道印大居士(左)」。
3代藩主鍋島綱茂とその正室普代姫の墓。
2代光茂の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しました。
書画に秀でた藩主だったようですが、
藩主就任時は既に40歳を超えていた為、
11年の治世の後に死去しています。


法性院殿健巌良勇大居士」。
4代藩主鍋島吉茂の墓。
2代光茂の次男として生まれ、
御親類の神代家を継いでいましたが、
兄の3代綱茂に継嗣が居なかった為、
養嫡子となって家督を継ぎました。
藩主就任後は積極的に藩政改革を進め、
23年の治世の後に死去しています。


海量院殿慈明活眼大居士(左)」。
5代藩主鍋島宗茂と正室貞姫の墓。
2代光茂の十五男として生まれ、
兄吉茂の代わりに神代家を継ぎますが、
その兄にも実子がなかったので、
戻されて養嫡子となっています。
※神代家は弟の十八男神代直方が相続。
吉茂の死後に伴い家督を相続。
財政再建に尽力していますが、
治世で享保の大飢饉が発生して被害を受け、
借財を増やしています。


光徳院殿瑞章良麟大居士(左)」。
6代藩主鍋島宗教とその正室綱姫の墓。
5代宗茂の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
家臣団より藩主としての資質を問われ、
蓮池藩、鹿島藩、武雄鍋島家諫早家から、
強制隠居を画策されていますが、
これを退けて関わった諫早茂行らを、
減封および蟄居処分とした為、
諫早一揆を引き起こさせています。


大弘院殿道聡良廓大居士(中央)」。
7代藩主鍋島重茂の墓と、
その正室源姫及び継室淑姫の墓。
5代宗茂の七男として生まれ、
兄の隠居に伴い家督を相続します。
享保飢饉以来の財政は逼迫しており、
さらに旱魃も発生していましたが、
本人は能や狂言などに没頭。
10年の治世の後に死去しました。


泰国院殿教学良化大居士(中央)」。
8代藩主鍋島治茂の墓と、
継室の雍姫穆姫の墓。
5代宗茂の十男として生まれ、
兄の死去に伴い家督を相続します。
支藩小城藩の拝借金嘆願の件で、
小城藩主鍋島直愈と共に幕府に処分を受け、
この事から財政再建に乗り出す事を決意。
石井鶴山古賀精里長尾東郭らを登用し、
人材育成を根本とした藩政改革を断行し、
藩校弘道館を設立させました。
米筈の発行、六府方徒罪方の設置など、
財政再建や構造改革にも取り組み、
後の10代鍋島直正の改革の基礎を創り、
名君、中興の祖と称えられています。


巍松院殿桂翁道栄大居士(右)」。
9代藩主鍋島齋直と正室幸姫の墓。
8代治茂の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を継ぎました。
継続的に続く財政難に経費節減で臨み、
支藩鹿島藩の吸収や長崎警備の返上を画策。
しかしどれも失敗しており、
長崎警備の人数を勝手に減らしていた為、
フェートン号事件で対応する事が出来ず、
事件後に幕府よりの責任追及で、
責任者が切腹させられる事となります。
さらに度重なる災害で借財を増大し、
隠居後も贅沢な暮らしをしたという。

その後は10代鍋島直正(閑叟)により、
佐賀藩の藩政改革が進められ、
財政は好転し、軍制の西洋化に成功。
明治維新に貢献するに至る訳ですが、
その10代直正、11代鍋島直大の墓は、
春日山にあってここにはありません。
※直正は賢崇寺、直大は青山霊園より改葬。

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