佐賀県佐賀市 宗眼寺(蓮池藩鍋島家墓所)

宗眼寺蓮池藩鍋島家の菩提寺。
詳しい創建時期はわかりませんが、
蓮池藩初代藩主鍋島直澄の開基であるようです。


宗眼寺」。
はじめ雨降山潜龍寺と称していましたが、
直澄が死去して葬られる際に、
正覚山宗眼寺と改称されたようです。


蓮池藩鍋島家墓所」。
本堂の裏手のある歴代の墓所。
墓には説明板が建てられているのですが、
鉄製で錆朽ちて全く読めなくなっています。


正獻院殿義峯宗眼大居士(右)」、
慧照院殿心月妙泉大姉(左)」。
初代鍋島直澄と正室牟利姫の墓。
事前のリサーチでは霊屋が建っており、
意匠には木造の河童像が施されていましたが、
取り壊されて五輪塔が並んでいました。
どこかに保存されているのでしょうか??

直澄は佐賀藩初代藩主鍋島勝茂の三男でしたが、
勝茂は徳川家康の養女である継室菊姫との間に、
四男鍋島忠直が生まれた為にこれを嫡男とし、
家康の外孫牟利姫を忠直の正室に迎え、
次期藩主に内定させていましたが、
忠直は疱瘡を患って23歳で早逝しています。
牟利姫は忠直との間に翁助を生んでいましたが、
勝茂の指示によって直澄と再婚。
勝茂は直澄に家督を相続させようとしましたが、
家中の反対で断念して翁助を嫡嗣としました。
後に直澄は蓮池藩を立藩しており、
牟利姫は2代鍋島直之を生んでいます。


要玄院殿了関宗勇大居士(右)」、
仙光院殿桃嶽宗悟尼禅師(左)」。
2代鍋島直之とその継室の墓。
直之は蓮池藩の2代藩主でしたが、
鍋島光茂(翁助)の異父弟でもありました。
佐賀藩は支藩の独立性を認めなかった為、
直之は宗家への不満を高めて関係は悪化。
本家からの独立を企図するようになり、
他の支藩と連名で抗議書を提出するに至ります。
しかし佐賀藩はこれを受け入れず、
三支藩主は家臣に過ぎない旨を改めて示し、
主家との関係は最悪なものとなりました。


大應院殿哲通玄濬大居士(右)」、
興祥院殿壽慶浄長大姉(左)」。
3代鍋島直弥とその正室の墓。
直弥は初代直澄の五男として生まれ、
藩重臣副島五郎兵衛の養子となっていましたが、
2代直之の世子鍋島直富が早世した為、
直之の養子となって家督を継ぎます。
藩は天下普請の負担等で財政が逼迫しており、
倹約令を出したり借金を行ったりしました。


龍華院殿実巌玄成大居士(右)」、
王泉院殿清月親影大姉(左)」。
4代鍋島直恒とその正室の墓。
直恒は父直弥の隠居により家督を継ぎますが、
先代より続く財政難に拍車が掛かり、
参勤交代の免除を幕府に願い出ようとしますが、
宗家の佐賀藩に却下されて断念。
朝鮮通信使接待役や天災も財政を圧迫しており、
神仏に祈るより他に手だてが無かったそうです。


大慈院殿鉄船弘済大居士」。
5代鍋島直興の墓。
直興は父直恒の死去によって家督を継ぎ、
善政を行いますが早逝しています。
直興には正室も実子もいませんでした。


幡竜院殿海印道洪大居士(右)」、
彩雲院殿鳳林浄貞大姉(左)」。
6代鍋島直寛とその正室千百姫の墓。
4代直恒の四男でしたが、
兄直興の死去により家督を相続。
経年続く財政難に倹約令を出した他、
学問を奨励するなど行っています。


成簡院殿圓明浄智大居士(右)」、
養壽院殿慈雲浄光大姉(左)」。
7代鍋島直温とその正室の墓。
直温は父直寛の死去に伴い家督を相続。
藩校成章館の創設などを行っていますが、
財政はどうしようもないほどに逼迫しており、
佐賀藩に財政を委託せざるを得なくなります。


天賜院殿雲菴宗樹大居士(右)」、
景雍院殿瑶室節操大姉(中)」、
玉簾院殿艶月浄鮮大姉(左)」。
8代鍋島直与と正室鶴姫及び継室千萬姫の墓。
直与は佐賀藩8代鍋島治茂の七男として生まれ、
家老家の神代鍋島家の養子となっていましたが、
直温の養子となった実兄鍋島直道が廃嫡され、
代わって養子となって家督を継ぎます。
高島秋帆の長男高島浅五郎や、
蘭医島本良順を召還し、
軍制改革や民政改革を相次いで行った他、
綱紀粛正、倹約令、知行削減などを行ない、
藩の発展、健全化に成功させています。
これらは幕府にも評価され、
幕政への参加を打診されていますが、
宗家である佐賀藩の反対によって辞退。
弘化2年に隠居していますが、
その後も藩政に関与しており、
藩製の西洋大砲が完成した際は、
自ら船に乗り込んで試射に立ち会ったという。
元治元年に死去。

最後の藩主は9代鍋島直紀
彼の墓はここにはなく青山霊園にあります。

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