四日市市西大鐘町の県道9号線沿いに、
※員弁四日市線。
忠衛門碑という慰霊碑が建っています。
この辺りは忍藩の飛地だったとのこと。
「忠衛門碑」。
世直し一揆が盛んだった慶応年間。
相次ぐ不作に西大鎮村の村役野呂忠衛門は、
忍藩の代官所に年貢免除を嘆願し、
※忍藩の代官所は大矢知陣屋に置かれた。
他村にも回状を送って協力を呼び掛けます。
近隣では年貢免除となったとも聞きますが、
忍藩からは何の沙汰も無く、
朗報を今か今かと待っていたという。
丁度その頃に志知と西大鎮の村境で、
員弁と朝明の郡境を設定する事となり、
村人がその境に溝を掘って、
枯草や木片を投げ入れて燃やし、
炭の境界線を敷く作業が行われました。
ところがその煙を見た近隣村では、
遂に一揆の狼煙が上がったと早合点し、
竹槍を持って集まって大騒ぎ。
その騒動を知った代官所では、
忠衛門を騒動の首謀者として捕らえ、
打首とする事が決定されますが、
維新期の混乱と勘違いの騒動、
更に村々の困窮が考慮された為、
忠兵衛は死罪を免れ釈放されました。
この碑は忠兵衛の死後に、
その功労を偲んで建てられたものという。
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