岐阜県海津市 常榮寺/竹腰家墓所

常榮寺は海津市平田町にある日蓮宗の寺院。
その創建は不明なようですが、
今尾城城主市橋長勝が現在地に移転させ、
正室常照院の追善供養を行ったとされます。
後に今尾を領した尾張藩御附家老竹腰家は、
常榮寺を領内菩提寺に定めました。


本堂」。
現在の本堂は明治元年の再建とのことで、
かなり手が加えられている模様。
鉄筋で補強もされています。

境内墓地には竹腰家の墓所がある他に、
宝暦治水薩摩義士の墓や、
慰霊碑等もあります。

妙法 宗言信士(右)」、
宝暦治水薩摩義士
 黒田家六士之墓
(左)」。
宝暦治水薩摩義士黒田唯右衛門の墓と、
薩摩義士黒田家六士の墓。
宝暦治水は宝暦4年(1754)2月から、
1年余りの間に行われた普請工事で、
木曽三川流域の治水工事でしたが、
実際の工事は薩摩藩御手伝普請で行われ、
家老平田靱負が総奉行として赴任。
かなりの難工事であったようで、
赤痢の流行で病人が多発した他、
幕府役人との軋轢による抗議、
工事が進まない事による責任等で、
52名が自害し33名が病死しています。
黒田唯右衛門も自害した一人で、
平田靱負の家臣であったという。
隣の黒田家六士というのも犠牲者で、
黒田家家臣と思われますので、
陪々臣にあたるようですが、
主の死に殉じたか病死の家臣らでしょう。
その詳細は不明。


五輪塔」。
宝暦治水薩摩義士と、
関ヶ原合戦戦死者を供養する五輪塔。


竹腰家墓所」。
竹腰家の本墓所は江戸の天徳寺で、
江戸期の当主はそこに葬られましたが、
9代当主と累代墓が建てらてています。


華族 正五位竹腰正美公之墓(中央)」、
今尾城主 竹腰家暦代の墓(右)」。
9代当主竹腰正美の墓と竹腰家累代の墓。
正美は幕末期の当主で8代竹輿正定の長男。
父正定の隠居に伴い家督を相続し、
藩内では佐幕寄りの姿勢であったという。
文久2年に幕府より隠居を命じられ、
維新後も新政府に藩政関与を禁じられ、
そのまま明治17年に死去。
領内に唯一墓のある当主でした。
右側は竹腰家当主の累代墓で、
左側の墓は親族のもののようです。

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