揖斐川は古くから舟運に利用され、
上流の大垣や下流の桑名等へ、
物資の運搬や交通が行われていました。
川筋の各所には船着場が設けられており、
今尾の渡しもその一つだったようです。
今尾は大垣と桑名の間に位置する要所で、
大きな市も開かれていたとされ、
尾張藩御附家老竹腰家の陣屋町でもあり、
多くの人々が集まって賑わったという。
「今尾の渡し跡」。
木々に覆われてしまっていますが、
今尾の渡し場があった辺り。
「今尾渡道標(右)」、
「常夜燈(中央)」、
「今尾渡道標解説板(左)」。
川沿いより少し入った辺りにある道標。
元々は船着場近くにあったとのこと。
嘉永四年(1851)に建てられたもので、
花崗岩製の2mを越える大きなもの。
桑名六里、岐阜七里、笠松三里等、
各所の道しるべが刻まれている他に、
「南無妙見大菩薩」、
「五穀豊饒萬民快楽」とあり、
豊作と旅の安全を祈ったものらしい。
今尾渡道標より北東へ約270m。
今尾神社の境内に吉田松陰の碑があります。
「今尾神社」。
慶長19年(1614)に豊受大神宮より勧請し、
神明神社として創建。
昭和3年に天津神社が合祀されて、
今尾神社に改称されて現在に至ります。
「吉田松陰先生参拝碑」。
松陰が参拝した事を記念する碑。
松陰は嘉永6年5月13日に、
森伸助、丸山荘左衛門、磯邉満次郎と共に、
今尾に上陸してはいますが、
神明神社に参拝したのかは不明。
その記録はありませんが、
今尾の渡しからは程近いので、
参拝した可能性は無きにしも非ずです。
「社殿」。
松陰の碑が目当てだった為、
参拝した後にすぐに立ち去ったのですが、
境内には宝暦治水の犠牲者を祀る平田神社、
竹腰家当主を祀る今尾藩祖霊社、
宝暦治水薩摩義士顕彰之碑があったらしい。
リサーチ不足でした。
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尾張藩附家老竹腰家の陣屋跡。
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