小倉にある曹洞宗の寺院宗玄寺は、
元々小笠原宗家初代小笠原秀政により、
信濃国松本に創建した寺院。
※始め臨済寺と称していましたが、
秀政の死後に宗玄寺に改めています。
小笠原家の小倉藩転封に伴ない、
小倉城下の馬借に移されました。
その地は小倉藩の細川家時代に、
藩主家菩提寺の泰勝院があった場所で、
細川家の熊本移封に伴い移転した為、
その場所に宗玄寺が入ったようです。
以後は藩の庇護を受けて隆盛しますが、
慶応2年の小倉戦争の際に、
幕府軍本陣となった為に戦火で焼失。
明治4年に再建されますが、
後に空襲によって焼失してしまい、
昭和51年に現在地へ移転しました。
「山門」。
広々とした空地(?)の奥にある立派な山門。
両側に木造の仁王像が置かれ、
門扉には三階菱があしらわれています。
※小笠原家の家紋。
山門をくぐると現れる立派な鐘楼(?)。
境内のど真ん中にあります。
「本堂」。
本堂は昭和51年築と思われます。
14世住職仏海和尚は書に優れ、
開善寺の名僧蘭山と共に、
「徳は蘭山、書は仏海」と、
称された名僧とのこと。
「小笠原家老家墓碑群」。
壁沿いに並ぶ五輪塔や笠塔婆型の墓碑群。
小倉藩家老の墓らしいのですが、
その個人が特定できたのは、
小笠原主水、小笠原齋宮源長亨の2名で、
その他はわかりませんでした。
小倉藩の小笠原家一門は、
御名字之族と御名字分流があったようで、
幕末期の小笠原姓の家老には、
小笠原織衛、小笠原若狭、小笠原甲斐、
小笠原内匠の4名がいたようです。ここにある墓碑群がどの家系のものか、
資料がなくてわかりません。
追記:市立図書館で資料を調べたところ、
宗玄寺は小笠原織衛家の菩提寺とのこと。
ここにあるの墓は織衛家のものと思われます。
■関連記事■
・福岡県北九州市 福聚寺/小倉藩小笠原家墓所
小倉藩小笠原宗家の墓所。
・福岡県北九州市 開善寺/小笠原眞方墓所
開善寺は宗玄寺の近くにあったようです。
・福岡県北九州市 小倉宮本家墓所
小倉藩筆頭家老宮本家の歴代墓所。