大分県大分市 高松代官所跡

明暦2年(1656)。
大給松平家の支藩する豊後高松藩は、
隣の府中藩に転封となり、
旧領高松は幕府直轄地に代わりました。
豊後高松藩の陣屋は代官所へと変わり、
九州天領を支配する代官が赴任して来て、
同じく天領の日田代官所と交代で在勤。
後に代官は西国筋郡代に格上げされ、
一時は九州天領の本拠となりますが、
代官は日田常勤へと変更となり、
高松代官所は出張代官所となっています。


大分市立日岡小学校(西門)」。
高松陣屋跡は現在の日岡小学校の敷地。
日岡の地名は明治以降のもので、
日田支配(幕領)の原村高松村
延岡藩領新貝村の合併した地名。
日田のと延岡ので日岡としたという。


高松代官所跡」碑。
西門横のフェンス裏にある跡碑。
高松代官所のあった事を示していますが、
残念ながら遺構は全く残っていません。
江戸時代の大分市域は、府内藩領、
臼杵藩領岡藩領熊本藩領
延岡藩領と入り混じり、
その残りが幕府の直轄領となっています。
中でも幕府領は比較的に年貢も低く、
流通や金融への統制も甘かった為、
豪商や豪農が多く存在したとのこと。

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