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津宿は津城下に置かれた伊勢街道の宿場。
津は古代から中世にかけて栄えた港町で、
古くは安濃津と呼ばれていました。
慶長13年(1608)に藤堂高虎が入封し、
津城を大改修すると共に城下町を整備。
海岸沿いを通る伊勢街道を城下に引き込み、
宿場町として発展させています。
[伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ]と謡われ、
伊勢参宮の旅人で賑わったという。
津市大門周辺。緑の線が伊勢街道で、
青くぼかした辺りが津宿跡。
国道23号線は大道路であり、
見るべきものも無い為、
北町より散策を開始します。
「北町」。
津宿の旅館業は北町から、
地頭領町まで許されたようで、
最盛期は約80軒の旅館があったとのこと。
「東町」。
北町から南に街道が折れると東町。
古い家屋は皆無ですが、
結構立派な家がいくつかありました。
県道561号線を越えて少し行くと、
レジャービルがちらほら。
津宿の中心へと近づきます。
「立町」。
街道は再び東に折れて立町に入ります。
立町は城下の中心的市街だったようで、
芝原浄林、光田庄右衛門、油屋善四郎等、
多くの豪商が軒を連ねたという。
「伊勢街道道標」。
立町を進むと現れる道標。
西面:右さんぐうみち/左こうのあみだ
南面:すぐこうのあみだ/左げこう美ち
ここを北へ行くと観音寺に至ります。
寄り道して観音寺へ。
「観音寺」。
和銅2年(709)に阿漕ヶ浦の漁夫が、
聖観音立像を網で引き上げ、
これを本尊として創建された寺院。
伊勢参宮では道中の観音寺にも参拝し、
それから伊瀬神宮を目指したとされ、
[津に参らねば片参り]と称されました。
「大門町」。
観音寺を出て南へ。
写真の左側に高札場があったようです。
平日17時頃歩いたのですが、
殆どの店が閉まっていました。
「本陣跡」。
百五銀行大門町出張所の辺りが、
津宿本陣があった場所。
本陣については詳細不明・・。
「脇本陣跡」。
洋品店ニューマツザカヤの場所が、
津宿脇本陣だった場所。
脇本陣についても詳細不明ですが、
もしかすると松坂屋だったのかも?
更に南へ進みます。
つづく。
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・三重県津市 江戸橋
津藩参勤の江戸への第一歩。
・三重県津市 上野宿跡
伊勢街道の3番目の宿場町。
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伊勢街道の2番目の宿場町。