雲出川南側にあった須川村は、
正式な宿場ではありませんでしたが、
伊勢街道が通っていた為に、
伊勢参宮の旅人が行き交った場所。
北海道の名付け親松浦武四郎は、
この須川村(現小野江)で生まれました。
「松浦武四郎誕生地」。
松村家は須川村で庄屋を務め、
武四郎は比較的恵まれた環境に育ち、
学問も多く学んだようです。
お蔭参りと呼ばれる参宮ブームの際、
年間500万人の旅人が家の前を通り、
大いに刺激されて旅に出たとされ、
そして蝦夷探検を志すようになって、
蝦夷地を始め択捉島や樺太を探査。
安政2年には蝦夷御用御雇に抜擢され、
幕府の命で再度蝦夷地を踏査しました。
明治2年には蝦夷を北加伊道と命名し、
※後に北海道に変更。
各地の地名をアイヌ語より命名。
またアイヌ文化を研究、紹介し、
アイヌ民族の救済に尽力しました。
晩年も諸国を旅していたようで、
著述や古物収取、描画等も行い、
明治21年に死去しています。
武四郎は北海道に私的に3回、
公務で3回赴いており、
その踏破距離は1万kmに及ぶという。
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・松浦武四郎「北海道」を名付けた人物
松浦武四郎について。
・長崎県平戸市 平戸城
武四郎は平戸松浦氏の諸流とされます。
・東京都文京区 吉祥寺/榎本武揚墓所
蝦夷共和国総裁榎本武揚の墓。