長崎県長崎市 ド・ロ神父墓所

外海にある出津集落野道共同墓地に、
ド・ロ神父の墓があります。
神父は仏国ノルマンディー地方に生まれ、
厳格な教育を受けて育ちました。
オルレアン神学校パリ外国宣教会神学校
バュー大神学校を経て司祭に叙階。
カン市聖ジュリアン教会補佐司祭に就任し、
パリ外国宣教会に入会しました。
B・プティジャンが日本から一時帰国し、
印刷技術を持った宣教師を募集していた為、
これに応募して慶応4年に来日。
明治4年に横浜日本初の石版印刷を始め、
明治6年には長崎でも石版印刷を行いました。
明治11年に出津に赴任しますが、
集落の人々の悲惨な状況に愕然。
救済院を設置して貧民に仕事を与え、
外国人向けのマカロニパンを製造し、
また伝染病等の救済も行っています。
以降35年もの間外海の救済を行い、
高齢となった後は大浦司教館で静養。
大正3年に新しい司教館の建築現場で、
足を踏み外して落下してしまい、
これが元で持病が悪化して死去しました。


司祭マルコ・マリー・ド・ロ之墓」。
墓地の入口にあるド・ロ神父の墓。
ド・ロ神父の墓は墓地の中腹にあり、
石段を登らなければならない為、
高齢者には大変な負担でした。
また命日のミサには多人数が集まり、
墓地中腹では不便であり危険な為、
平成2年に新たな墓碑が建立されました。


HIC QUIESCIT COR PUS
 REV.D.MARIE M.DE ROTZ
」。
墓地の中腹にあるド・ロ神父の本墓。
この墓石は神父本人がフランスより取り寄せ、
自らの墓所と定めていたとされます。
ド・ロ神父の葬儀は出津教会堂で行われ、
棺は集落を迂回して墓地へ運ばれましたが、
参列が長すぎて棺が墓地に着いた時も、
列の後方はまだ教会を出てなかったという。

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