外海の出津地区に赴任したド・ロ神父は、
出津の人々の貧しさに驚愕し、
これを救う為に自らの知る技術を教え、
貧困者や海難事故で夫を失った未亡人らに、
職を与えて生活を立てさせました。
出津周辺は佐賀藩の領地だったようで、
比較的キリシタンの取り締まりが緩く、
庄屋ら村役も潜伏キリシタンでした。
明治6年にキリスト教が解禁され、
明治11年に赴任したド・ロ神父により、
出津教会堂が明治15年に建てられますが、
ド・ロ神父は出津の人々の救済の為、
私財を投じて庄屋宅を買い取り、
出津救助院を建設しています。
「旧出津救助院」。
庄屋宅兼代官所の敷地だった場所で、
出津代官は庄屋が担っていました。
上記のように庄屋も潜伏キリシタンで、
組織的な信仰が続けられており、
年貢が滞り無ければ黙認されていたという。
廃藩後に代官や庄屋の制度が廃止され、
ド・ロ神父がこの庄屋宅を購入。
施設を建設して味噌や醤油を製造させて、
女性らの自立を支援しています。
「マカロニ工場」。
十字架が掲げられた白壁の小屋。
外国から輸入したパスタ製造機が置かれ、
鉄製かまどが設置されていました。
マカロニ等のパスタを製造していたようで、
[マカロニ部屋][クライエ]と呼ばたという。
製造されたパスタ類は長崎に送られ、
西洋人らに購入されたようです。
国指定重要文化財。
「薬局跡」。
旧出津救助院の入口にある小屋。
外海地区に腸チフスが蔓延した為、
ド・ロ神父が医療器具や薬品を取り寄せ、
自ら診療を行ったとされています。
「旧製粉工場」。
ド・ロ神父は農業にも通じていたとされ、
小麦の種子を取り寄せて栽培させ、
水車小屋を使って製粉させました。
製粉された小麦粉でそうめんを作り、
各地に売られたとのこと。
このそうめんには落花生油が使用され、
現在も[ド・ロさまソーメン]として、
現在も親しまれているようです。
この建物は出津川上流に建てられたもの。
「授産場」。
施設群の中心となる授産場。
1階でそうめんやパンの製造、
醤油や味噌の醸造が行われ、
2階で製糸や製織、染色が行われました。
国指定重要文化財。
「授産場内部」。
1階は救助院の関連歴史年表や、
実際に使用されていた器具等を展示。
2階は祈りの場となっています。
「鰯網工場(ド・ロ神父記念館)」。
ド・ロ神父の遺品が集められた記念館。
鰯網工場として建てられたものですが、
保育所として使用されたようです。
国指定重要文化財。
「ド・ロ神父像」。
腰もとに抱きつく男の子を、
暖かい眼差しで見つめるド・ロ神父。
殉教や迫害等の殺伐な話の多い中、
出津地区とド・ロ神父の逸話は、
非常に暖かな気持ちになりました。
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