瑞慶庵は輝北町市成にあった寺院で、
市成島津家の菩提寺であったという。
最初はは両足寺と称していたようで、
後に瑞慶庵と改称したようです。
源姓土岐氏末裔が大隅国敷根村に移住し、
敷根姓を称して豪族となり、
後に島津家の家臣となっていましたが、
15代当主敷根頼元は男子なく戦死。
その名跡を敷根立頼が相続し、
※宮之城家2代島津忠長の三男。
慶長19年(1614)に市成領主となりました。
後に次代島津久頼が島津姓名乗りを許され、
市成島津家として続いています。
「市成島津家墓所」。
輝北町市成の田園地帯にある墓所。
瑞慶庵も廃仏毀釈で廃寺となっており、
市成島津家の墓所のみが残されています。
個人の墓碑は特定出来ませんが、
初代立頼以降は、2代島津久頼、
3代島津久達、4代島津久輔、
5代島津久福、6代島津久命、
7代島津久芳、8代島津久浮、
9代島津久誠、10代島津久宝と続き、
明治2年以降は土岐姓に戻して、
11代土岐久賀、12代土岐久彦、
13代土岐長久と続きました。
見た限り全ての当主の墓は無いようですが、
事前の情報では5代久福の墓はあるらしい。
他に登見の丘公園に8代久浮の墓があるとか、
他所に墓所があるようです(未確認)。
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