日置郷は一所持大身分日置島津家の私領。
島津歳久を祖とする日置島津家は、
3代島津常久より日置郷に入封。
5代島津忠朝の頃に東郷に移封されますが、
6代島津久竹が領地替を願い日置に戻り、
以降は日置領主として続きました。
「日置御仮屋跡(日置小学校跡)」。
長い石段が続く日置御仮屋の正門跡。
石段前には馬場が伸びています。
跡地は[日日nova]という施設となっており、
石段及び石垣以外の遺構はありません。
12代島津久風はモリソン号事件の際、
藩主の命で山川湊に出動しており。
モリソン号を砲撃で撃退しています。
13代島津久徴は藩主相続問題で、
嫡男島津斉彬の藩主就任に奔走し、
斉彬の藩主就任後は主席家老を務め、
藩政改革に大きく貢献。
斉彬の死後は罷免されますが、
薩英戦争では総大将を務めており、
英国軍と互角に戦いました。
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