鹿児島県薩摩郡 宮之城御仮屋跡

宮之城郷薩摩藩外城のひとつで、
宮之城島津家が私領として支配し、
御仮屋を中心にが形成されていました。
宮之城の地名は文禄4年(1595)に、
北郷忠能が入封された際、
旧領都城に因んて改称されたとのこと。


宮之城御仮屋跡(盈進小学校)」。
宮之城御仮屋跡は盈進小学校となっており、
石垣が遺構として残っています。


宮之城郷御仮屋跡
 盈進館・嚴翼館跡
」。
校門横に貼りつけられた跡碑。
安政5年に15代当主島津久治により、
御仮屋内に郷校文武館が創設され、
文館を盈進館、武館を厳翼館と名付け、
後にこれが盈進小学校となりました。


せんだんの木くすの木」。
運動場の中央にある2つの木。
ど真ん中に木があるのは非常に珍しい。
御仮屋時代から生えているもので、
今も元気に葉を茂らせています。
考えたら運動場に木陰があるのも、
暑い季節には悪くないかもですね。

15代当主久治は国父島津久光の次男で、
12代藩主島津忠義の弟。
海防総頭取皇居警衛総督等を務め、
薩英戦争講和使節の代表にもなっており、
藩主の実弟としてこれを補佐しました。
しかし討幕には慎重論を示しており、
藩内強硬派から軟弱と見らていたという。
明治維新後は藩政には関わらず、
教育振興に尽力していますが、
ノイローゼとなっていたようで、
明治5年にピストル自殺を遂げています。

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