吉野ヶ里遺跡は吉野ヶ里丘陵にある遺跡で、
弥生時代の大規模な環濠集落跡。
昭和61年からの発掘調査によって発見され、
現在は国営吉野ヶ里歴史公園となっています。
幕末維新をテーマとするこのブログには、
全く当てはまらない弥生時代の遺跡ですが、
何故か日本100名城に選定されてますので、
今回は家族と共に行ってみました。
「吉野ヶ里歴史公園センター」。
吉野ヶ里遺跡には田手川東岸のゲートより、
橋を渡って入場するようになっています。
ここではチケット販売所の他に売店や展示場、
レストラン等が設置されていました。
天の浮橋を渡って遺跡内に入り、
吉野ヶ里遺跡内に入って北上。
「南内郭」。
吉野ヶ里の最盛期に周辺集落の王や、
指導者らが住んでいたとされる場所。
周囲は環壕と城柵で囲まれており、
王族の竪穴式住居が建てられていた他、
敵を襲来を見張る物見櫓があったという。
これらが再現されています。
物見櫓からの風景。
歴史の授業で習ったであろう風景を、
実際に見せてあげようという趣旨もあり、
このタイミングで訪問した次第です。
南内郭から北内郭へ。
「北内郭」。
吉野ヶ里で最も重要な場所とされ、
田植や稲刈の日取りを決めたり、
季節ごとの祭りの日を決めたり、
大きな「市」を開く日取りを決めたりと、
クニ全体の重要な物事について、
儀礼や祭祀が行われた場所とされます。
その入口は桝形となっていました。
「主祭殿」。
クニ全体の重要な決定を行う会議や、
祖霊への祭祀を行った中心的な建物とされ、
3層2階建の高床建物だったとされています。
吉野ヶ里で最も大きな建物。
建物内へ。
「主祭殿中層部分」。
中層部分は政治の場と想定されており、
祭では直会の場としても利用されたとして、
支配層の集会を行う場とされています。
人形にてその様子を再現。
「主祭殿上層部分」。
上層部分は最も祭祀性の高い場とされ、
最高祭祀権者が祖霊に祈りをささげ、
安寧と豊饒を願ったと考えられています。
北内郭を出て北墳丘墓へ。
「北墳丘墓」。
歴代の王が埋葬された特別な墓所で、
人工的に造られた丘にだったようです。
内部から14基の甕棺が発見されており、
カラス製管玉や有柄把頭飾銅剣が、
一緒に収められていたとのこと。
「北墳丘墓内部」。
全体的にテーマパークのようでしたが、
ここは遺跡感が感じられます。
弥生時代中頃(紀元前1世紀)のもので、
それ以降は墓地として使われなくなり、
祖先の霊が眠る場所と敬われたという。
見つかった副葬品の管玉や銅剣は、
非常に貴重なものだったようで、
被葬者の身分の高さがうかがえます。
この他に中のムラ、南のムラ、倉と市等、
広く再現されているようですが、
全部を周る時間も体力もなかった為、
今回はこれにて終了としました。
弥生時代の事は余り得意としませんが、
遥か昔より人は秩序ある生活をして、
発展してきたと感じられる場所。
たまにはこういう場所も訪れるべきですね。
●日本100名城
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