十念寺墓地にある西洞院時名の墓所。
西洞院家は桓武平氏の嫡流にあたり、
半家に属する公家の家でした。
平安末期に権勢を握った平清盛一門は、
関東に下向して武家化した庶流で、
当主平時信は清盛継室時子(二位尼)や、
後白河天皇の女御建春門院の父で、
その息子である平時忠は、
平清盛一門の隆盛と共に権勢を振るい、
その没落と共に都落ちしています。
西洞院は時信の弟平信範の系譜で、
2代信基、3代親輔、4代時高、5代時仲、
6代仲兼、7代仲高、8代行高と続き、
9代行時が西洞院を名乗ってその祖となり、
正三位参議を極位極官としました。
「入道正四位下風月之墓」。
西洞院家16代当主西洞院時名の墓。
江戸中期の勤皇家竹内式部に師事し、
桃園天皇に「日本書紀」の神代巻を講義。
徳大寺公城や烏丸光胤らと共に、
摂家に対抗してその排除を内奏しますが、
宝暦8年(1758)に関白一条道香の圧力により、
官職を解かれて永蟄居の処分が下され、
時名は落飾して風月を名乗って隠棲。
※宝暦事件。
安永7年(1778)に放免されていますが、
官職に復することはなく、
寛政10年(1798)に69歳で死去しています。
西洞院家は初代行時から、
2代時森、3代知高、4代時基、5代時兼、
6代時顕、7代時長、8代時当、9代時慶、
10代時直、11代時良、12代時成、
13代時國、14代時光、15代範篤、
16代時名、17代時義、18代信庸、
19代信順と続き、
20代信堅の時代に明治維新を迎えています。
【公家の墓所】
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