京都府京都市 桂宮邸跡

桂宮家は天正17年(1589)に創設された宮家で、
豊臣秀吉の猶子であった智仁親王が、
※正親町天皇の第一皇子誠仁親王の第六皇子。
秀吉に実子が出来た為に別家を創設。
邸宅は現在の桂宮邸跡にありましたが、
別邸が八条通を西に進んだ先にあった事から、
※現在の桂離宮。
八条宮と呼ばれていました。
初代の智仁親王から2代智忠親王、
3代穏仁親王、4代長仁親王、
5代尚仁親王、6代作宮と続き、
作宮の相続時に常磐井宮に改められますが、
作宮は僅か4歳で死去してしまいます。
代わって作宮の兄文仁親王が跡を継ぎ、
京極宮と改められて以降は、
8代家仁親王、9代公仁親王と続き、
享保18年(1733)の公仁親王の没後に中絶。
文化7年(1810)に盛仁親王が継承し、
京極宮から桂宮に改られましたが、
翌年に僅か1歳で盛仁親王は薨去してしまい、
代わって桂宮を相続した節仁親王も、
僅か4歳で薨去してしまいました。
この為盛仁親王の異母姉桂宮淑子内親王が、
文久2年に桂宮12代当主となりますが、
明治14年に薨去して桂宮家は断絶しています。


京都御苑北側周辺。
赤線で囲んだあたりが桂宮邸跡。

表門と勅使門の二つの門が現存しており、
更に庭園跡も残されています。

「表御門」。
桂宮邸の正門にあたる薬医門式の表御門。
この向こう側は宮内庁職員の宿舎です。


「勅使門」。
表御門の南側にある荘厳な薬医門は、
勅使を迎える為に使用された勅使門。

跡地西側は上記のように職員の宿舎ですが、
東側の敷地は公開されています。

「御書院及び御常御殿跡」。
嘉永7年に内裏が火災してしまった為、
桂宮邸が孝明天皇の仮御所となっており、
その住居となった御常御殿と、
政務を行った御書院がありました。
孝明天皇は安政2年まで桂宮邸で過ごし、
修復された御所に戻っています。
また和宮内親王が徳川家茂に降嫁する際、
文久元年10月から1年8か月居住しており、
ここから江戸に向かいました。


「庭園跡」。
仮御所となった際に造営された庭園で、
荒れてはいますが格式の高さが伝わります。

桂宮邸にあった御殿群は二条城に移築され、
現在の本丸御殿となっています。

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・京都府京都市 泉涌寺/後月輪東山陵
 121代孝明天皇の御陵。

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