八戸事件

慶応2年12月12日(清:同治5年)、
清国広州の中外新聞に、
香港在住の八戸順叔という日本人の寄稿が、
掲載されたという。

掲載された記事は、
「日本は軍制を改革し新型兵器や軍艦を
 購入、製造し現在既に火輪兵船(蒸気軍艦)
 80隻を所有している。
 また12歳から22歳までの優秀な若者

 14名を選抜しロンドンに派遣。
 留学生らは西洋風の髪型にそろえて、
 ヨーロッパ式の軍服を着用し、
 英語にも精通している。
 江戸政府は督理船務将軍の中浜万次郎を
 上海に派遣し火輪兵船を建造。
 国内260名の諸侯を江戸に結集し、
 朝鮮を征討しようとしている。
 日本が朝鮮を征討しようとするのは、
 朝鮮が5年に1度実施していた朝貢をやめ、

 久しく廃止しているからだ。」
というもの。

この記事の情報は清国政府より、
李氏朝鮮にもたらされます。
鎖国体制を維持し、
との紛争を経験した李氏朝鮮は、
日本による攻撃の可能性に危機感を募らせ、
幕府に記事の情報について詰問しました。

幕府としては動乱の時期で、
国内の長州藩の征討にも失敗しており、
朝鮮を征討するなんて到底不可能で、
根も葉もない嘘です。
ただ全くのデタラメだった訳ではなく、
軍制を改革している
14名をロンドンに派遣している」、
中浜万次郎を上海に派遣して、
 軍艦を調達している」、
朝鮮通信使が中断されている」など、
微妙に事実が含まれてもいました。

この記事うち李氏朝鮮は、
朝貢の件と征討の件を問題視しますが、
幕府には征討の件のみを詰問しています。
実は朝鮮通信使はあくまで外交使節団で、
朝貢ではないのですが、
内容的は中華に対する朝貢使節と同様でした。
日本側も朝貢とみなしていましたし、
朝鮮側もそう見られているのを、
知っていたようです。

日朝2国間ではこれで良かったのですが、
清国が絡んでくると状況が変わります。
日本にも朝貢を行っていたのか?
という話になり、
これを清国に弁明する訳ですが、
日本にはこの件は触れてません。
朝鮮では外交使節団、
日本では朝貢使節団と上手くいってる事で、
征討さえ無ければ何の問題も無いわけです。

李氏朝鮮からの詰問書は、
対馬藩を介して老中板倉勝静へ。
板倉は幕閣と協議し、
対馬藩主宗義達に事実無根と否認を命じます。
八戸順叔という香港在住の人物が、
誰ともわからない人物であり、
そんな人物の話に信憑性は無いとしました。

対馬藩は直ちに朝鮮への回答を作成。
朝鮮滞在中の講信大差使仁位孫一郎へ発送し、
八戸の記事を全面否定する説明がなされ、
八戸事件は終結することになります。

ところで中外新聞の八戸順叔の寄稿ですが、
現在までその原文は見つかっていません。
つまりそのような記事があったのか、
定かではないのです。
そもそも広州に中外新聞という新聞は、
発行されておらず、
似た名前の新聞も該当記事はありません。
また八戸順叔という人物も謎であり、
該当されるような人物は何人かはいるものの、
その人物は特定できていない。

そうなると記事が本当にあったのか?
何らかの陰謀があったのかもしれません。
確認出来る最初の出所は、
清国の総理各国事務衙門で、
この機関が言っているだけです。

清国が日朝対立を謀る必用はありませんし、
清国が直接確認した記事でもないようで、
情報をもたらした人物かいたようです。
軍制改革、英国留学、朝鮮通信使の中断など、
詳しい事柄を知っている割に、
幕長戦争という当時の日本人であれば、
誰でも知っていた事柄が抜けています。
内乱があっては他国に攻めれませんので、
わざとその事を隠したと思わざるを得ません。

もしそうであれば、
倒幕派が幕府を困らせる為に、
嘘の情報を流したのか?
そんな気もしないではありません。

■関連記事■
人力車の話
 原始的ながら文明開化な香りの乗り物。
幕末朝鮮史
 李氏朝鮮がアメリカ、フランスを撃退。
長州藩の異国船討ち払い
 長州藩は異国船を打ち払っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です