山上は近江国と伊賀国を結ぶ要所で、
江戸中期まで譜代安藤家の領地でした。
元禄8年に安藤家が転封となった後、
旗本稲垣重定が加増されて諸侯に列し、
所領が常陸から近江に移封され、
山上に藩庁を置いて山上藩が立藩。
重定は奉行制度を確立させて、
藩政の基礎を作ります。
譜代である山上稲垣家は、
代々幕閣の要職を歴任したことから、
他藩より出費が多かったとされ、
これに火災や飢饉などの災害も相次ぎ、
藩の財政は火の車でした。
「山上陣屋跡」。
愛知川と支流の和南川の合流点の西側に、
山上陣屋は建てられていました。
遺構はほとんど無いようで、
周辺の石垣等も陣屋遺構ではなく、
後に建てられた民家の基礎のようです。
唯一愛知川沿いの河川敷には、
樹齢150年以上の木が立っており、
藩政時代にもそこにあったのでは?
と想像するより仕方ありません。
「元天神社鎮座地」と陣屋の説明板。
鎮座地ということですから、
廃藩後に天神社が建てられたのでしょうか?
その天神社がどこに行ったのか、
調べてもよくわかりませんでした。
近隣に天神社、天満宮等は見当たらない。
まず説明板がかすれていて全く読めない。
どうにかならないものでしょうか?
山上藩稲垣家は定府大名でしたので、
藩主の御国入りなかったようですが、
版籍奉還後の明治2年に、
8代稲垣太清が初めて自領に戻り、
陣屋に御殿が無かった為に、
近隣の安養寺に居住したようです。
【山上藩】
藩庁:山上陣屋
藩主家:稲垣家
分類:1万3000石、譜代大名(定府)
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