出張で現地休暇があり福井市に宿泊。
今回は同僚と2人で行動しており、
宿のチェックインまで間があったので、
東尋坊まで行って時間を潰そうと、
坂井市の東尋坊に行ってきました。
「天然記念物及名勝東尋坊」碑。
東尋坊は全国的にも有名な海食崖で、
険しい岩壁が垂直の崖を作り、
地質上極めて貴重であり、
またその壮大な景観から名勝に指定され、
一大観光地となっています。
ここに突き落とされた僧の名が東尋坊。
かつて勝山の平泉寺に数千人僧侶がおり、
その一人東尋坊は僧でありながら乱暴で、
やりたい放題であったという。
東尋坊は美しい姫君に心を奪われ、
恋敵の覚念と激しくいがみ合いますが、
覚念は東尋坊に手を焼く僧侶らと相談し、
亡き者にしようとここに誘い出すと、
皆で東尋坊と突き落とします。
その日から40日も海は荒れて、
これが東尋坊の祟りという事になって、
いつの頃か東尋坊と呼ばれたという。
ここは自殺の名所として名高い訳ですが、
ものすごい人数の観光客でした。
観光地化が進んで自殺など出来ないようで、
ホントに自殺の名所?といった感じ。
実は東尋坊は単なるついで。
本当の目的は約4km東の丸岡藩の砲台跡。
時間つぶしに東尋坊を同僚に提案したのも、
ここが近くにあると知ってたから。
「丸岡藩砲台跡」。
幕府からの沿岸警備強化の指示を受け、
藩が領内沿岸に設置した砲台のひとつで、
地名の梶浦から梶台場と呼ばれていました。
築造は高島流砲術家の栗原源左衛門が担当。
丸岡藩は早くから軍政の洋式化を進め、
藩主有馬道純も江川太郎左衛門に入門し、
山鹿流兵学、空心流砲術、
荻野流砲術を廃止。
藩士らを洋式化が進む大野藩に留学させ、
洋式砲術の修業をさせていたようです。
当時の砲台がほぼ完全な姿で残っており、
約1.8mの土居は石垣で強化され、
等間隔に5つの砲眼が一列に設けられて、
33mに渡って弓状に弧を描いています。
多くの砲台跡を訪問していますが、
砲台が完璧に保存されているのは初めて。
今すぐ大砲を持ってきても使えそうでした。
観光名所の東尋坊に比べ、
こっちは全く人気が無いようですが、
それはそれで写真が撮りやすくて良い。
出来れば大砲のレプリカ等あれば、
当時の状況が想像しやすいかも?
まあこのままの状態の方が、
人も少なくて良いかもしれませんけど。
■関連記事■
・福井県坂井市 丸岡城
丸岡藩有馬家の居城跡。現存天守。
・富山県黒部市 生地台場跡
加賀藩の設置した大砲台場跡。
・福井県坂井市 高岳寺/丸岡藩有馬家墓所
丸岡藩有馬家の歴代墓所。