島村志津摩」タグアーカイブ

福岡県京都郡 島村志津摩終焉の地

島村志津摩は隠居後に京都で死去した」。
昔、これを何かの本でナナメ読みして、
島村志津摩は維新後に京都府に移住し、
そこで死去したとばかり思っていましたが、
これが勘違いで京都府や京都市ではなく、
京都違いの福岡県京都郡でした。

おバカな間違いでお恥ずかしい限りですが、
島村が隠棲したのは豊津藩領の二崎続きを読む

福岡県田川郡 金辺峠(再訪)

小倉秋月を結ぶ香春街道の要衝金辺峠
小倉藩は本拠地である小倉城を自焼させ、
金辺峠を最後の砦として抵抗しており、
峠には島村志津摩の碑が建てられています。

この金辺峠には6年前に訪問済みですが、
当時の写真がボケてて酷いものたったので、… 続きを読む

福岡県北九州市 志津摩橋と中野橋

宮本武蔵の顕彰碑のある手向山の東側は、
小倉戦争の激戦地だった場所。

今は閑静な住宅街になっておりますが、
そこを流れる村中川の橋を見に行きました。


志津摩橋」。
気が付かずに通り過ぎてしまうような橋。
橋名は島村志津摩隊が布陣したことに由来。
島村志津摩は金辺峠に陣を敷き、
長州軍に抵抗したことで知られます。

島村隊は大里の戦い続きを読む

福岡県北九州市 福聚寺/島村志津摩墓所

藩主家菩提寺福聚寺の墓地に、
幕末の家老島村志津摩の墓があります。


小倉藩島村志津摩之墓」。
小倉藩家老島村志津摩貫倫の墓。
小倉戦争時の一番手備士大将で、
幕末時の家老職であった志津摩は、
殖産興業振興等の財政改革を行っており、
小倉戦争で最高責任者となっています。
小倉城の自焼後にはゲリラ戦を展開し、… 続きを読む

福岡県北九州市 福聚寺/小倉藩小笠原家墓所

福聚寺小倉藩初代小笠原忠真が創建し、
菩提寺として藩の保護を受けました。


第一関門」。
福聚寺の総門にあたる第一関門
本来の正規の入口なのですが、
門前は民家が立ち並んで結構狭い。
駐車場も裏門にありますので、… 続きを読む

福岡県田川郡 金辺峠

金辺峠は小倉秋月を結ぶ香春街道の要衝で、
小倉軍はここを最後の砦として長州軍に抵抗。
峠には島村志津摩の人徳を慕い、
顕彰碑が建立されています。

島村志津摩之碑の看板が建っていますが、
雑草で埋まりそうになっています。
車では気付かないんじゃないだろうか。

農家などが数件ある旧道を車で進みます。

道の先には旧金辺トンネルがありました。… 続きを読む

「小倉藩家老 島村志津摩」白石壽

小倉戦争高杉晋作の最後の戦いですが、
戦争は晋作が役職を解かれた後も続いています。
第二次長州征伐で始めた長州藩との戦いは、
熊本藩が友軍の日和見主義に嫌って退却。
小倉口総督小笠原長行が逃げ去った後は、
小倉城を自ら炎上させ、
長州藩と小倉藩の私戦として続けられました。

島村志津摩金辺峠で長州軍を迎え撃ち、
長州藩の大軍を手こずらせますが、… 続きを読む