紹隆寺は重富島津家の菩提寺で、
廃仏毀釈により廃寺となっていましたが、
昭和63年に永平寺の不老閣を移設し、
再建を果たしています。
島津家墓所を巡っていると、
その菩提寺は悉く破壊されていた為、
紹隆寺も廃寺のままだと思っていました。
墓地の横に大きな仏殿があったのは、
勿論気が付いてはいましたが、
別の寺院であると思い込んで、
墓地だけを訪問してしまっています。
基本的に墓所へ参拝する時は、… 続きを読む
鹿児島県姶良市 紹隆寺/重富島津家墓所
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紹隆寺は重富島津家の菩提寺で、
廃仏毀釈により廃寺となっていましたが、
昭和63年に永平寺の不老閣を移設し、
再建を果たしています。
島津家墓所を巡っていると、
その菩提寺は悉く破壊されていた為、
紹隆寺も廃寺のままだと思っていました。
墓地の横に大きな仏殿があったのは、
勿論気が付いてはいましたが、
別の寺院であると思い込んで、
墓地だけを訪問してしまっています。
基本的に墓所へ参拝する時は、… 続きを読む
安政の大獄で追われた月照は、
京都を脱出して大坂に潜伏。
更に老中間部詮勝の上洛に先立ち、
西郷隆盛と共に薩摩へ移ります。
しかし薩摩藩は月照保護を拒否し、
月照を[日向国送り… 続きを読む
島津宗家初~5代当主の墓所は、
出水市感応寺境内にありますが、
鹿児島市清水町にもあります。
「本立寺跡」。
嘉禄3年(1227)に初代島津忠久が死去。
野田の感応寺に忠久の墓所を建て、
ここに廟を建立したとのこと。
その後は5代まで同様だったようで、
5つの廟が建てられており、
五道院と呼ばれていましたが、… 続きを読む
福昌寺跡の10代藩主島津斉興の墓の傍らに、
側室お由羅の方の墓があります。
「妙淨覺忍大禪定女尼」。
お由羅の方の墓。
江戸の大工の娘、八百屋の娘、
舟宿の娘など出自には諸説ありますが、
江戸の… 続きを読む
島津宗家歴代墓所である福昌寺跡に、
薩摩藩の官僚調所広郷の墓があります。
「全機院殿敷績顕功大居士」。
薩摩藩士調所広郷の墓。
城下士小姓組川崎主右衛門の次男で、
同組の調所清悦の養子となります。
調所家は代々… 続きを読む
薩摩街道は江戸時代に整備された脇街道で、
山家宿を始点として鹿児島城下に至る道。
薩摩藩内では出水筋と呼ばれ、
領内の主要街道となっていましたが、
出水筋ではなく薩摩街道というからには、
[薩摩街道=薩摩への道… 続きを読む
薩摩藩の藩庁鶴丸城へ再訪。
前回訪問時はまだ御楼門が再建途中で、
鹿児島県鹿児島市 鶴丸城跡
今回は完成してから初の訪問となります。
「御楼門」。
御楼門は鶴丸城本丸の正門でしたが、
明治6年に火災で焼失していましたが、
令和2年に復元されています。
鶴丸城は慶長6年(1601)に… 続きを読む