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青森県東津軽郡 松陰くぐり

松陰くぐりは以前より知ってはいましたが、
なぜ吉田松陰はそんなところへ行ったのか、
とても不思議でした。
浅いとはいえ下は海に浸かっているし、
裸足にならないと濡れてしまいます。
松陰がくぐったのは3月の事のようで、
冬の冷たい海に浸かるのは、
物好きとしか考えられませんでした。

・・・が、色々と調べると謎が判明。
要はちゃんとした道が無かったからです。
人が住んでいましたが交通手段は舟。
歩くには海岸線を通るより道は無く、
海岸沿いを通ると必然的に、
この洞門をくぐらなければなりません。


「… 続きを読む

青森県北津軽郡 みちのく松陰道

嘉永5年3月5日。
吉田松陰宮部鼎蔵小泊から、
算用師峠を越え三厩に向かいました。
小泊から海岸線を北上した2人は、
途中から山道へ入って竜飛岬までは行かず、
まさかのショートカット。
高波で海岸線を進めなかったのかな?


みちのく松陰道入口」。… 続きを読む

青森県北津軽郡 松陰小泊止宿跡と台場跡

吉田松陰宮部鼎蔵津軽半島を北上。
十三湖の絶景を堪能した後、
小泊村に宿泊しました。
小泊村は権現崎という岬にあり、
その名称はアイヌ語で、
小港を意味するポン・トマリを語源にします。



徐福像」。… 続きを読む

秋田県大館市 相馬大作事件之地

相馬大作事件盛岡藩士下斗米秀之進が、
弘前藩主を暗殺しようとした事件。
文政4年(1821)に発生したこの事件は、
下斗米が相馬大作と名を変えて潜伏した為、
相馬大作事件と呼ばれました。

吉田松陰はこの事件に強い影響を受けており、
事件から30年後の東北遊学の際に、
その暗殺未遂の現場を訪れて、
案内人に暗殺が成功したかを訪ねています。
※ただ松陰は場所を勘違いしており、続きを読む