嘉永5年3月5日。
吉田松陰と宮部鼎蔵は小泊から、
算用師峠を越え三厩に向かいました。
小泊から海岸線を北上した2人は、
途中から山道へ入って竜飛岬までは行かず、
まさかのショートカット。
高波で海岸線を進めなかったのかな?
「みちのく松陰道入口」。… 続きを読む
青森県北津軽郡 みちのく松陰道
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嘉永5年3月5日。
吉田松陰と宮部鼎蔵は小泊から、
算用師峠を越え三厩に向かいました。
小泊から海岸線を北上した2人は、
途中から山道へ入って竜飛岬までは行かず、
まさかのショートカット。
高波で海岸線を進めなかったのかな?
「みちのく松陰道入口」。… 続きを読む
吉田松陰と宮部鼎蔵は津軽半島を北上。
十三湖の絶景を堪能した後、
小泊村に宿泊しました。
小泊村は権現崎という岬にあり、
その名称はアイヌ語で、
小港を意味するポン・トマリを語源にします。
「徐福像」。… 続きを読む
相馬大作事件は盛岡藩士の下斗米秀之進が、
弘前藩主を暗殺しようとした事件。
文政4年(1821)に発生したこの事件は、
下斗米が相馬大作と名を変えて潜伏した為、
相馬大作事件と呼ばれました。
吉田松陰はこの事件に強い影響を受けており、
事件から30年後の東北遊学の際に、
その暗殺未遂の現場を訪れて、
案内人に暗殺が成功したかを訪ねています。
※ただ松陰は場所を勘違いしており、… 続きを読む
吉田松陰は宮部鼎蔵、江帾五郎と東北へ遊学。
水戸、白河と歩いて途中で江帾と別れ、
会津、新潟、佐渡、秋田、弘前と巡り、… 続きを読む
[花燃ゆ]で東北遊学が端折られたので、
補足の意味で松陰の東北遊学の事を書きます。
松陰は嘉永3年、
熊本藩士宮部鼎蔵と盛岡浪人江帾五郎の3人で、
東北遊学を計画します。
「宮部鼎蔵と江帾五郎」。
出発の日を赤穂浪士の討ち入りの日に定め、
松陰は遊学を藩に願い出て許されますが、… 続きを読む