山口市赤妻町の赤妻神社という謎の神社。
googleMAPにもカーナビにも記載が無く、
ネット上の記載住所の殆どが間違っており、
手掛かりは長州史系ブログの訪問記事のみ。
※2020/11/22時点でgoogleMAPの記載確認。
赤妻神社は錦小路神社とも呼ばれますが、
どっちが正式な名前なのかわかりません。
※錦小路神社が正式らしいのですが、
毛利家文庫では赤妻神社となっている。
安加都麻神社とも呼ばれるらしい。
錦小路頼徳と広沢真臣の墓があるのに、
地図にも載っていないのは何故でしょう。
で、今回行ってきましたので、
ちゃんとした場所を記載します。
住所は山口県山口市赤妻町17。
赤枠の位置が赤妻神社の場所。
住宅地の端にあり地図に載っていないので、
廃墟のような場所かと思われそうですが、
綺麗に整備されているようです。
「赤妻神社社殿」。
祭神は記載されてはいませんが、
七卿のひとり錦小路頼徳を祀る神社で、
中山神社と同じく個人を祀る招魂社。
錦小路頼徳は廷臣八十八卿列参事件や、
関白久我建通の弾劾に関与しており、
八月十八日の政変によって失脚。
三条実美らと共に長州に落ち延びます。
下関滞在時の砲台視察中に倒れ、
白石正一郎邸に運ばれましたが病死。
遺骸は湯田の龍泉寺に運ばれ葬儀が行われ、
藩主毛利敬親自らが喪主を務めました。
「贈正四位丹波頼徳朝臣墓」。
墓碑に贈正四位と記されていることから、
当時の墓碑ではないのでしょう。
墓石の後ろの自然石の記念碑は、
「贈正四位錦小路君碑銘」。
明治3年に三条実美らが建立したもの。
篆額は三条、碑文は加藤有燐、書は長三洲。
加藤有燐は笠間藩の儒学者で、
長州藩に召されて明倫館で教えています。
ここには広沢真臣の墓もあります。
本墓は東京の世田谷にありますので、
こちらは分霊墓。
「参議贈正三位藤原朝臣真臣卿墓(右)」。
「故参議廣澤真臣卿室廣澤氏墓(左)」。
広沢真臣は幕末時は波多野金吾と称し、
政治よりは実務を担当していたようで、
正義派や俗論派には属しておらず、
中立の立場だったようです。
内訌戦後に正義派政権が樹立すると、
政務役として藩政に参加しますが、
これは実務能力を買われたのでしょう。
その際に藩命により広沢兵助と改名。
薩長同盟や幕長戦争の講和など、
正義派政権での対外交渉に能力を発揮し、
新政府でも要職を歴任しますが、
明治4年に富士見町の私邸で、
何者かに暗殺されてしまいます。
暗殺の下手人は苛烈な捜査にもかかわらず、
特定には至らず真相は謎のまま。
迷宮入り事件第一号となりました。
幕末維新最大のミステリーは、
龍馬暗殺事件ではなく広沢暗殺事件です。
広沢夫妻の墓が何故ここにあるのか?
錦小路頼徳との接点もそんなにない。
この墓が崖を向いて立っているのも謎。
謎、謎、謎・・赤妻神社は謎の宝庫でした。
■関連記事■
・下関市綾羅木 中山神社
赤妻神社と同じく祭神は中山忠光一人。
・東京都世田谷区 世田谷松陰神社(再訪)
広沢の本墓は松陰神社に隣接。
・東京都文京区 護國寺
三条実美の墓があります。