兵庫県小野市 光明寺(小野藩一柳家墓所)

小野藩一柳家の菩提寺光明寺は、
鎌倉時代後期に建立された臨済宗の寺。
一柳家が小野を藩庁に定めて以降、
菩提寺として藩主一族の位牌が置かれています。


光明寺」。
一柳家の墓所は江戸の祥雲寺で、
外様藩の殆どが自領に墓所を設けていましたが、
小野藩は自領に墓所を設置していませんでした。
※外様諸藩は藩主が江戸で死去しても、
 自領の墓所に遺髪等を治めていました。
その後、9代藩主一柳末延が小野陣屋で病死した為、
領内の菩提寺である光明寺に葬られたようです。
※末延正室の墓は祥雲寺にあります。


小野藩藩主一柳家墓所」。
光明寺墓地を探しても藩主の墓所らしきものが無いので、
お寺の方に訪ねると、寺の裏手に案内して頂きました。
設置されていたのは崖の傍です。


見性院殿前土州太守禅林貞定居士」。
9代藩主一柳末延の墓。
彼の治世の天保4年に、加古川筋一揆が起こっています。
※飢饉と商人の米の買い占めによる物価高騰で発生。
 加古川流域に領地を持つ諸藩が被害に遭った。

著名な国学者大国隆正を招聘し、藩校帰正館を創設。
歴代藩主で唯一小野陣屋内で死去しました。


雲松院殿前土州太守俊巖義傑大居士」。
10代藩主一柳末彦の墓。
安政2年に父末延の死によって家督を継ぎますが、
8年後の文久3年に養嫡子一柳末徳に家督を譲っています。
不思議なのは、その後明治14年まで生きていますが、
彼が生涯独身であった事。
藩主の一番の使命は、後継を残す事ですが、
8年もの間、正室を置かなかった事や、
明治以降も妻を娶らなかった事から、
良縁に恵まれなかったという理由ではなさそう。
同性愛者だったのでしょうか?


真妙院殿月妙喜大姉」。
11代一柳末徳の次女喜久子の墓。
赤穂森子爵家当主森忠恕の妻ですが、
後に忠恕と離婚していますので、
実家に帰ってから亡くなったのでしょう。

小野藩一柳家に関しては、なかなか資料が見つからず、
記載できる内容が少ない。
その割に末彦の独身の謎や、喜久子の離婚理由など、
気になる要素が多いのは歯がゆいところですね。

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 小野藩一柳家の陣屋跡。

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