佐賀県武雄市 武雄鍋島家別邸跡

28代武雄領主であった鍋島茂義は、
嘉永4年に隠居屋敷を造設しており、
そこに造園された庭園が残されています。


鍋島藩武雄領主の庭園」。
明治元年。本拠であった武雄陣屋が火災で焼失。
※武雄陣屋跡は現在の武雄高等学校の敷地。
29代武雄領主鍋島茂昌は、茂義の隠居屋敷に移り、
そこを本拠としました。
現在は武雄市文化会館の庭園として保存されており、
今も綺麗に手入れがされてます。


鍋島茂義公之像」。
茂義は部屋住みのまま請役(執政)に任じられ、
悪政や浪費、横領などには立場を越えて意見し、
藩主鍋島斉直の怒りを買う事もあったようで、
一時は切腹の沙汰も出たほどでした。

軍制の洋式化の必要性を訴えて、
独自に武雄鍋島家の軍制を蘭式に改変。
家臣平山醇左衛門を西洋砲術家高島秋帆に入門させ、
自らも入門して免許皆伝を受けています。
※後に平山醇左衛門は、高島秋帆の逮捕に連座して斬首。
洋式大砲の鋳造や試射も武雄で行われており、
軍制改革の先駆者となりました。
宗家の佐賀藩が武雄鍋島家の軍事技術に注目したのは、
茂義の隠居後であったようで、
10代藩主鍋島斉正(閑叟)は平山を取り立てて、
軍事教練や大砲鋳造を指導させており、
隠居した茂義にも度々意見を聞いています。

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