佐賀県小城市 小城陣屋跡

小城藩は、佐賀(肥後)の支藩。
初代佐賀藩主鍋島勝茂の長男鍋島元茂が、
初代藩主として立藩しまています。

元茂は勝茂の嫡子でしたが、
勝茂の後妻が徳川家康の養女であった為、
その後妻の子鍋島忠直が継嗣となり、
廃嫡させられて江戸に人質として送られました。
※結局忠直は早世してしまいますが、
 その長男光茂が2代佐賀藩主となっています。

その後、藩祖鍋島直茂が死去した為、
直茂の隠居領を含む7万3千石が与えられ、
大名として諸侯に列しました。

はじめ佐賀城西ノ丸の元茂屋敷が藩庁でしたが、
2代鍋島直能の頃に、小城に陣屋を構えます。
7万3千石という石高を持つ中堅大名ながら、
格式としては無城大名でした。
支藩の立場でしたが、宗家とは仲は悪く、
同じく支藩の蓮池藩と同様に独立を模索しますが、
宗家の反対で実現してません。

小城藩邸正門前の石橋」。
小城陣屋があったのは、
現在の佐賀県立小城高等学校小城公園の一帯。
遺構は堀や土塁や石垣、そして正門前の石橋です。

石橋を渡ると陣屋敷地内ですが、
振り返った後ろ側には、藩校の跡地がありました。

藩校興譲館跡」。
小城藩校興譲館の跡地は、
現在小城市立桜岡小学校になっています。
生徒は藩士子弟のみで、
嫡子は15歳から24歳まで寄宿舎に入り、
文武の授業が行われました。
成績が悪いと拘置や減食の罰があり、
優秀であると賞品が貰えたようです。


鳥森稲荷神社(二の鳥居)」。
陣屋敷地内の中央の桜岡と呼ばれる丘にある神社。
3代藩主鍋島元武によって創建された神社で、
江戸屋敷内に奉祀されていた「烏森稲荷」を遷宮し、
宮本武蔵によって勧請されたもののようです。


鳥森稲荷神社 拝殿」。
石段を上った丘の山頂付近にある拝殿。
稲荷特融の朱の鳥居が連なっています。


鳥森稲荷神社の北側には、
お約束のように忠魂碑がありますが、
その両側には小城出身の政治家松田正久の碑と、
何故か聖徳太子の像が・・・、


松田男爵之碑」。
松田正久は、小城藩士横尾只七の次男として生まれ、
同小城藩士の松田勇七の養子となります。
藩校興譲館で学び、維新後は昌平学校に入学しますが、
まもなく廃止となった為に、沼津兵学校に入学しました。
頭取であった西周の推薦によって陸軍省に出仕し、
明治5年に兵学研究のためにフランスに留学しますが、
帰国後に陸軍省を辞職して帰郷。
自由民権運動に参加しています。

明治8年、無量寺を本拠に政治結社「自明社」設立。
長崎県議会議員衆議院議員を務め、
大蔵大臣文部大臣司法大臣などを歴任しました。


鐘撞堂跡」。
忠魂碑の裏手にある石垣は、
鐘撞堂の跡で数少ない遺構のひとつ。


甲戌烈士之碑」。
佐賀の乱で戦死した旧小城藩士13名の慰霊碑。
旧小城藩の士族は、元家老田尻種博ら三個小隊が、
反乱に参加しています。
留守経昌牟田官太野口兵庫深江春柳
鐘ヶ江善太郎成松浅次郎山田為次郎
中山熊太郎高園熊吉中島作一
北島九八東島平太中村儀三の13名が戦死し、
隊長の田尻が懲役10年の刑。
その他30人が有罪となっています。
この碑は明治23年に、同志達によって建設されたもの。
毎年4月上旬頃に、碑前で慰霊祭が行われている様です。


元小城藩館跡」。
現在の佐賀県立小城高等学校の敷地内が、
藩庁の御殿があった場所。
比較的新しい石碑なのですが、
」と付けているので「」はいらないと思う。


梧竹退筆塚」。
明治の三筆のひとり中林梧竹は元小城藩士。
藩命により江戸に留学し、
山内香雪市河米庵らに書を学びました。
明治10年に清国の余元眉から、
碑版法帖の提供を受け六朝書を研究。
明治15年には、余元眉とともに清国に渡り、
余元眉の師である潘存の許で古碑や拓本を研究します。
明治24年、王羲之十七帖の臨書を明治天皇に献上。
大正2年に死去しましたが、翌年にこの碑が建てられ、
追悼法会及び除幕式が盛大に執り行われたようです。
退筆塚より南へ進み、岡山神社へ。


江副道治碑」。
天保三剣士大石進の門人江副兵部左衛門の石碑。
大石神影流剣術の他、天神真揚流体術
八天舞相流棒縄術を体得した人物。


岡山神社」。
初代藩主鍋島元茂及び2代藩主鍋島直能を祀る神社。
元茂は藩主ながら剣術にも長けており、
柳生宗矩に兵法を学んで武神と崇めらました。
はじめ國武社と称していましたが、
安政5年に岡山神社と改称しています。

この岡山神社の境内には、あの剣豪2人の祠が・・・

玉成社(右)」と「武正社(左)」。
柳生宗矩を祀る玉成社と、柳生十兵衛を祀る武正社。
初代元茂と2代直能は、2人に剣術を教わっていました。
小城藩で剣術が盛んであった事が窺えますね。
鍋島家の伝承によると、十兵衛が宗矩に勘当されたので、
柳生新陰流の一子相伝の秘技は、
直能に伝授されたという話もあります。

幕末の小城藩は、宗家と共に長崎警固などを担当。
万延元年遣米使節に藩士を派遣したり、
洋式軍備による兵制改革を行ったり、
蘭方医を藩医とするなど、
積極的な洋式化に取り組んでいます。
戊辰戦争では、アームストロング砲を装備し、
藩兵600名が出陣。
新政府軍の勝利に大いに貢献しました。

【小城藩】
藩庁:小城陣屋
藩主家:元茂流鍋島家
分類:7万石、外様大名(佐賀藩支藩)

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