栃木県さくら市 龍光寺/喜連川藩足利家墓所

龍光寺足利尊氏の開基とされ、
下野国における安国寺だったともされ、
当初の寺名は東勝寺であったという。
足利国朝喜連川に入ってからは、
喜連川家の菩提寺として墓所も建てられ、
国朝の父足利頼純の法名より龍光院と改称。
昭和28年に龍光寺と改められています。


山門」。
小さいながら朱塗りの山門。


本堂」。
本尊の釈迦如来像の他、
恵心僧都作の十一面観世音菩薩像を安置。


喜連川藩主足利家歴代御墓所」。
境内北側にある藩主家の墓所。
レンズに水滴が付いてしまいました。


ちょっとした土塀で囲まれた墓所には、
石塔54基と石灯籠が立ち並んでいます。
参勤交代免除されていた喜連川家は、
藩主は領内で死去することが多く、
この墓所に遺骸が埋葬されました。

喜連川家は足利将軍家の支族であり、
同じく将軍家の徳川家より配慮がなされ、
諸侯の中でも極めて特殊な存在でした。
5千石という大名の規定から外れながら、
10万石級の国主並の家格を有し、
参勤交代免除、妻子国元在住、諸役免除、
御所号の敬称も許されています。
藩主は「御所様」と呼ばれていたようで、
天下ノ客位無位ノ天臣と称したという。

喜連川家は明治維新の後、
足利家に復姓しており、
足利家は現在も続いているとの事です。

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 喜連川藩喜連川家の陣屋跡。

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