琴平での高杉晋作

下関開港論を唱えた為に命を狙われた高杉晋作は、
琴平の侠客で勤皇家であった日柳燕石を頼る為、
丸亀から琴平を目指します。
しかし晋作は直接琴平へ入らず、
旅籠「藤の棚」に入り、燕石の方からが出向きました。


藤の棚 跡」碑。
現在は水田となっており、水路脇に碑があるのみ。
ここの主人は大原東野という有名な浮世絵師で、
晩年に琴平に来て宿屋家業の傍ら、
琴平界隈の絵を描いていたという。
晋作がここに来た際は既に死去していましたが、
旅籠は誰かが継いでいたようです。

ここで燕石と会った晋作は燕石の世話になる事となり、
門前町界隈の数ヶ所に潜伏。
何度も捕吏から逃れた末、無事に長州に戻りました。


呑象楼跡」碑。
燕石の住居であった呑象楼があった場所。
晋作は燕石の息の掛った者の家に潜伏していますが、
呑象楼も潜伏に適したところですので、
晋作が訪ねた可能性はあります。


呑象楼」。
移築された呑象楼の建屋。
抜け穴隠しハシゴなども残されています。


敷島館(旧芳橘楼)」。
参道沿いにあった琴平屈指の大宿で、
桂小五郎坂本龍馬も宿泊しています。
要は一番メジャーな宿だったわけで、
あまり潜伏には不向きのような気もしますが、
大きいだけに隠れるところも豊富なのか、
晋作もここに潜伏しました。
また晋作を探す捕吏の目を眩ます為に、
燕石は偽装の宴会をここで開いており、
逃亡に手を貸したカドで燕石は捕縛されています。


長谷川佐太郎旧家(丸尾本店)」。
燕石を兄のように慕う長谷川佐太郎の営む造酒屋。
晋作は燕石の紹介でここに潜伏しており、
高松藩の捕吏が踏み込んだ際には、
晋作を酒樽の中に隠して匿ったとされていますが、
佐太郎の妻は髪を引きずりまわされても、
知らぬ存ぜぬを貫いたとされています。


旧松里庵」。
燕石の子分半助が営んでいた料亭で、
燕石に匿われていた高杉晋作を捕縛する為、
高松藩の捕吏はここに踏み込みますが、
晋作は用意されていた抜け穴から脱出し、
そのまま長州に逃げたとされています。


牛屋口」。
金刀比羅宮の南側の入口で、
伊予土佐街道に繋がっています。
旧松里庵の抜け穴を抜けた晋作は、
牛屋口を通って逃亡しました。

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