明和元年(1764)、
山形藩藩主松平乗祐が大坂城代に就任。
6万石で西尾藩に転封となっていますが、
西尾とその周辺には2万7000石しかなく、
越前国天領72ヶ村が与えられました。
この飛地を統治支配する為に、
惣代内藤武左衛門の屋敷が仮陣屋とされ、
西尾藩の役人20名が赴任。
正式な陣屋の敷地は武左衛門が提供し、
着工から2ヶ月半で陣屋は完成して、
廃藩置県まで飛地領を統治しました。
「三州西尾藩「天王陣屋」跡地」。
天王陣屋跡は公民館となっており、
跡碑と藩主の追福墓が建てられています。
「松平和泉守霊位追福墓」。
西尾藩は飛地で領民に対する仁政を心掛け、
災害の救援、防災の徹底、橋梁の修築、
潅概用水の整備、敬神、崇祖の鼓吹、
善行の褒賞などを行っていたという。
領民は廃藩後も仁政に敬慕の念を抱き、
明治9年に藩主家の追福墓を建立しました。
また陣屋跡より南にある日吉神社境内には、
仁政に尽くした代官を祀る磯野神社があり、
赴任中に死去した藩士の墓も實相寺にあり、
西尾市からも参拝に訪れているようです。
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