鯖江藩の藩庁鯖江陣屋跡を訪問する為、
鯖江市を訪れたのは2018年の事。
この時は時間が限られており、
間部家菩提寺である萬慶寺を訪問するも、
有名な天井の絵を拝見できていません。
そこで今度こそは拝見したいと、
もう一度鯖江市に赴きました。
萬慶寺は鯖江藩間部家初代間部詮言が、
村上藩から移封させられた際、
村上城下常福寺の陽光和尚が万松庵を建立。
後に曹洞宗大本山永平寺の承天禅師を招き、
萬慶寺と改称し永平寺末寺となっています。
「山門」。
鯖江では数少ない楼門建築。
嘉永2年に建立されたものとのこと。
「本堂」。
現在の本堂は文化11年に造営されたもの。
この本堂内部の天井画がお目当て。
鯖江藩7代間部詮勝の作によるもので、
龍神、風神、雷神が描かれているらしい。
見に行ったのにらしいというのは、
見れなかったという事です。
コロナで当分公開を中止してるとのこと。
これは残念・・・。
中止されているなら仕方ない。
せめて藩主墓所だけでも参ろうと裏側へ。
「御用屋敷門(赤門)」。
裏門は鯖江陣屋の御用屋敷門の移築。
数少ない鯖江陣屋の遺構のひとつ。
「眞霊院殿従五位下
前若州刺史寶山慧鏡大居士(右)」、
「馨香院殿従五位下
前若州刺史顕道懿勲大居士(中)」、
「玉徽院(以下戒名読めず)(左)」。
万慶寺裏にある間部家の墓所。
右から5代間部詮熙、6代間部詮允、
および8代間部詮実室徽美姫の墓。
間鍋勘解由という人の墓があるようですが、
よくわかりませんでした。
5代詮熙は藩内で学問を奨励し、
儒学者芥川思堂を招き藩士らを学ばせ、
後の藩校設立の礎を作りました。
6代詮允は先代よりの学問奨励を継承。
藩校進徳館を創設しています。
天井絵を描いた7代詮勝の墓はここに無く、
千葉県の法華経寺にあります。
詮勝は大老井伊直弼の政権で老中に就任。
※天保期にも老中となっています。
日米修好通商条約や将軍継嗣問題に奔走。
井伊と共に安政の大獄を行っており、
間部の青鬼と恐れられました。
吉田松陰は詮勝の暗殺を企てており、
これを自白したことによって斬首が決定。
伝馬町の露ときえました。
その後、井伊と対立して老中を罷免され、
桜田門外の変を経て体制が変化すると、
減封と謹慎の処分を受けています。
跡を継いだ8代間部詮実は僅か1年で早逝。
弟間部詮道が9代となり維新を迎えました。
詮勝の天井絵を見られなかったのは残念。
またいつか鯖江に来る機会があれば、
必ず見させてもらおうと思います。
■関連記事■
・千葉県市川市 法華経寺
鯖江藩7代間部詮勝の墓所。
・福井県鯖江市 鯖江陣屋跡
鯖江藩間部家の陣屋跡。前回の鯖江訪問。
・東京都世田谷区 豪徳寺/彦根藩井伊家墓所
大老井伊直弼の墓所。