幕末の西尾藩藩主松平乗全の墓所は、
西尾市の盛巌寺にあります。
譜代藩主の墓所が所領にあるのは、
比較的稀なケースです。
「盛巌寺」。
創建は天正18年(1590)。
大給松平宗家6代当主松平家乗が、
祖父で4代当主の松平親乗と、
父で5代当主の松平真乗の菩提を弔う為、
上野国那波に開いたのが始まりとされます。
後に大給松平宗家の移封と共に移転し、
西尾藩移封と共に現在地に移りました。
「盛巌寺本堂」。
本堂には歴代当主の位牌が安置されている他、
7代当松平乗寿寄進の狩野探幽作の涅槃図が、
寺宝として残されているようです。
「水竹今井府君墓」。
西尾藩家老今井弘の墓。
乗全の墓所の入口に、
主君を守るように建っています。
維新後は西尾藩大参事に就任しており、
実務能力のあった家老と思われますが、
資料がないのでよくわかりません。
「松平源恭公碑」。
松平乗全の顕彰碑。
篆額は徳川宗家16代徳川家達です。
「源恭院殿觀徳謙翁大居士」。
大給松平宗家14代当主及び、
西尾藩4代藩主松平乗全の墓。
乗全は老中となって開国を主張し、
将軍継嗣問題では南紀派に属しています。
阿部正弘により一時老中を罷免されますが、
大老井伊直弼が再び老中に任じ、
間部詮勝が老中首座を罷免されると、
代わって老中首座となっています。
しかし桜田門外の変で井伊が暗殺されると、
幕閣内で発言力を失って老中を辞任。
隠居して西尾で過ごしました。
明治3年、死去。
「光顔院殿明誉浄鏡貞照大姉」。
乗全の正室の墓。
尼崎藩4代藩主松平忠宝の娘で、
クミという名だったようですが、
漢字やその他の事はよくわかりません。
最後に境内に謎の墓があったのでご紹介。
「新田義真 義恭 直興 海松之墓」。
ネットには全然載っていませんでした。
新田義貞と関係あるっぽいのですが、
調べてもよくわかりません・・・。
最後の[海松]は幼名のようですが、
なんらかの悲劇があったっぽいです。
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西尾藩の牢獄跡。
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同族の府内藩大給松平家の居城跡。