山崎藩本多家の菩提寺である大雲寺は、
江戸時代初期に専誉上人が開山した寺院。
郡山新田藩より本多忠英が山崎藩に入封し、
本多家の菩提寺に定められました。
「山門」。
現在の山門は弘化2年再建のもの。
費用は千草屋平瀬家の寄進によって賄われ、
施主は大坂梶木町平瀬宗十郎、
山崎本町平瀬源右衛門の記載があるという。
明治初期の実業家平瀬露香は、
上記の平瀬宗十郎の子です。
「本堂」。
本堂は平成3年再建の新しいもの。
老築化によって自然腐朽が進み、
檀信徒の寄付によって再建されています。
本堂の裏手の墓地へ。
山の斜面が大規模な墓地となっており、
その一番上が本多家の墓所。
「本多家墓所」。
中央の玉垣付きの墓が累代墓。
左右に一族の墓石が並んでいます。
「深高院殿前肥州宰吏勇誉真哲大居士」。
2代本多忠方の墓。
藩政時代に領内で死去した唯一の藩主で、
大飢饉で困窮する財政の再建や、
領民を救う為に努力していますが、
志半ばで24歳で病死しています。
「實想院殿真譽義山忠明大居士」。
9代本多忠明の墓。
明治2年に父本多忠鄰の隠居で家督を継ぎ、
最後の藩主となっています。
廃藩置県後に東京に移住していますが、
晩年は山崎に戻って明治34年に死去。
楽天の三木谷浩史は玄孫であるという。
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