福井県三国市 三国神社

三国湊より三國神社へ行ってみる。

三國神社は平安時代前期の延喜式神名帳に登場し、
継体天皇を祀る神社として創建したとされますが、
この三國神社は中世までには廃絶。
現在の三國神社は室町時代後期の創建で、
竹田川支流の兵庫川から流れてきた御神体を住人が拾い、
現在地にあった正智院という寺院に納め、
院主澄性が境内に小社を建立して鎮守神とし、
その弟子の澄元が現在地に桜谷を開いて山王宮を建立。
江戸時代は性海寺がこれを守護して、
三国湊の総鎮守として崇められました。


三國神社」。
明治に入って神仏分離により性海寺の守護を外れ、
明治3年に三國神社への改称を藩に願い出たが却下。
地名から桜谷神社に改称しています。
その後、近隣にあった水門宮を合祀し、
明治18年に三國神社への改称が許可されました。


拝殿」。
現在の拝殿は三国湊で廻船業を営む内田惣右衛門が主唱し、
天保2年から11年に掛けて建てられたもの。

さて、ここの境内社に松平春嶽を祀るものがあります。

木立神社」。
福井藩16代藩主であった松平春嶽は、
※藩主在籍時の名は松平慶永
明治3年に新政府の役職を辞して公職から引退。
小石川の自邸で余生を過ごして明治23年に死去しました。
翌年、春嶽を祀る為に三国神社に木立神社が建立され、
三国神社に奉納されていた春嶽の木像太刀一振
および春嶽自らが記した立願文が納められています。
※立願文は「福井を治めていた頃は領民を苦労させたので、
 死後は魂だけでも越前へ帰って領民を守りたい」という趣旨。

後に三国出身の諸戦役の戦死者1140余名が合祀。

三国神社の例大祭は春に行われる三国祭
名物の武者人形山車が三国湊の町を練り歩き、
毎年10数万の見物客が訪れようで、
北陸三大祭のひとつと称されているようで、
三国湊を散策中に山車の倉庫を幾つか発見しました。
コロナ禍で2020年は中止だったようですが、
今年はその雄姿をみられるのでしょうかね?

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