新選組は西本願寺より不動堂村に移転。
隊士吉村貫一郎が西本願寺側と交渉し、
諸経費全てを西本願寺が負担しています。
新しい屯所は1万平方メートルの広さに、
表門、高塀、玄関、長屋、使者の間、
幹部居間、平隊士部屋、客間、馬屋、
物見中間と小者部屋、
30人が入れる大風呂など、
その規模は大名屋敷並みであったという。
残念ながら間取りなどは判っておらず、
このような感じであったとしかわからない。
そもそもその正確な位置さえ不明です。
「此付近 新選組最後の洛中屋敷跡」。
京湯元ハトヤ瑞鳳閣の脇にある石標。
此付近という便利な言葉が付いていますが、
実際の屯所はここではないようです。
「リーガロイヤルホテル京都」。
一番信憑性の高いとされる場所。
ここだったかもしれないし、
北側の小学校あたりかもしれない。
アパホテル京都駅堀河通かもしれませんが、
とにかく堀川通にあったようです。
「この付近 新選組 不動堂村屯所跡」、
「近藤勇歌碑」。
リーガロイヤルの前庭にあります。
事あらばわれも都の村人と
なりてやすめん皇御心 近藤勇
僅かな期間で移転している為、
新築の屋敷ではないのではないかともされ、
既存の屋敷を改修したとも云われ、
結局はよくわからない屯所なのですが、
新選組嫌いで知られる西村兼文が、
屯所を大名屋敷と評しており、
立派なであったのは間違いないでしょう。
その建物に新選組が居たのは僅か半年。
鳥羽伏見の戦いで伏見奉行所に転陣し、
戦に敗れて関東に下る事となります。
■関連記事■
・京都府京都市 八木家
新選組最初の屯所。芹沢鴨暗殺現場。
・京都府京都市 西本願寺
壬生より移転した二番目の屯所。
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鳥羽伏見の戦いで新選組は伏見に出陣。