清源寺は仁正寺藩市橋家の菩提寺で、
旧領主蒲生定秀の別邸桂林庵だったものを、
初代藩主市橋長政が菩提寺に定めた寺院。
「本堂」。
本堂には歴代藩主や重臣らの位牌の他、
2代と3代藩主の木像も安置され、
多くの藩資料も寺宝として残されてます。
清源寺墓地には200人に及ぶ藩士の墓の他、
3代、6代、8代藩主の墓があります。
「永昌院殿前總州太守俊山玄英大居士」。
3代藩主市橋信直の墓。
信直は親族の旗本市橋家の市橋政直の子で、
父の死後に旗本市橋家を継いでいましたが、
仁正寺藩2代市橋政信に継嗣が無かった為、
政信の養嫡子となっています。
※この為に旗本市橋家は断絶。
養父政信の死去に伴い家督と継ぎ、
16年の治世の後に死去しました。
「嶺雲院殿前豆州太守徹翁浄閑大居士」。
6代藩主市橋長璉の墓。
長璉は臼杵藩8代稲葉菫通の次男で、
5代市橋直挙の養嫡子となって、
直挙の隠居により家督を相続します。
27年の治世の後に死去。
「大乗院殿前豆州太守海光宗印大居士」。
8代藩主市橋長發の墓。
長發は7代市橋長昭の次男として生まれ、
父の死去のより家督を相続しますが、
8年に治世の後に僅か18歳で死去。
生来病弱であったという。
他の藩主の墓は荒川区西日暮里の南泉寺。
この3藩主は領内で死去した為、
清源寺に葬られたようです。
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